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【エッセイ】 父と子

米国で育つうちの子どもらは、新型ウィルスが蔓延しだしてから、授業はすべてオンラインになり、たいして勉強らしいことをしないまま、夏休みを迎えた。上の子は、卒業式も何もなく高校を終えた。どうなるのかと思った大学も、新年度からの授業はあるらしく、申し込んだ寮にも入れることになった。あと半月もしないうちに、上の子は、寮に移り住む。



夏休み中に、コロナの声も少しおさまり、住んでいる地域での制限も緩和されてからは、子供らは、特に車に乗れる上の子は、家にいないことも増えてきた。外出制限が出ている頃は、毎食みんなで囲んだ食卓も、全員がそろうことが、少なくなった。コロナの前は、そろうことの方が少なかったのだが。

     

7月初めのある夜は、その、あまりない、全員そろう夕食の機会だった。その時に、上の子が口にした話題に、彼らの父親である私の連れ合いが、むきになりはじめた。上の子が、共産主義という言葉を口にした時だ。

少し前に、シアトルの自治地区出現のニュースが流れた。それから、ネット上でも、見聞きできる範囲でも、共産主義のやりかたをもう一度ためしてみては、という意見が出るようになった。そういう流れも知ってはいたが、私は気にもとめていなかった。何かを変えたいと思う人が、代替案として、これは、と言ってみるのは、さにあらん。

上の子が言うには、そういう意見を聞くけど、共産主義がうまくいくわけはない。共産主義を実際に試してみるという実験は、いくつかの国でされてきた。ソ連や中国やキューバで。そして、そのどれをも、みんな失敗だと認めてきたではないかと。

何も、言い返すようなことでも、議論をふっかけているのでもない。でも、連れ合いは興奮している。熱い様子で喋る。共産主義の元となる考えは、もっと理想主義なんだ、共産主義の発現のしかただけ見て、失敗だというのは違う、根本の考え方は、もっとシンプルで、理論としては、実際ほかの考え方より利点もたくさんあるんだ、オマエは、そういうことを理解もせずに反対だとか、、、

議論してるわけじゃないんだから。別に共産主義に、そこまでの思い入れもないし、この子も。私が口をはさむ。でも、連れ合いは止まらない。共産主義の根本の思想を知りもしないで、共産主義がいいの悪いの言ってほしくない、少なくとも自分のむすこのオマエには、だから、、、

私は、実際にはないのだが、この光景を見たことがあると思った。6人兄弟の5番目に生まれた私の連れ合いの、一番上のおねえさん。彼女が、今の上の子と同じ年くらいの時、夕食のテーブルでよく自分の父親と口論になって、最後は、いつも涙をためてテーブルを離れていた。連れ合いからも、彼の他のきょうだいからも聞いた話。

連れ合いが、私の目の前で、私が見たことはないけど知っている場面と、同じことをしていた。父親として。私もこんなふうに父と、かみあわない口論をよくした。家で父に向かってそんなことをするのは、私くらいだったので、母はときどき、あんたはいいなあ、お父さんに言い返せて、と言っていた。でも、おもしろかったよと。

でも、私は、父と母の一番上の子でなかったし、末っ子のしたたかさも持っていた。一番上の子は、こうして、なりたての親、今の私達なら、なりたての「高校を卒業した子の親」の、経験値のない、下手くそなやり方での愛情を受けるのだろう。

なんで、そんなにムキになって、共産主義の説明をしないといけないのか。それも、今ここで。明日、落ち着いてから、また話せば? 共産主義の本でも買って、何日かして渡してやってもいいではないか。

私は、自分が連れ合いの、下手な愛情の刃の矛先になれればいいのに、と思いながら、熱くなる連れ合いと、だんだん冷めてきた様子になる上の子の話に、ちゃちゃを入れ続けた。


次の朝、起きる時間でもないのに、ふと目がさめると、隣の連れ合いも、目をさましていた。

「後悔してる。悪かったと思う。」

連れ合いがつぶやく。起きてしまいたくはないので、静かな声で、返す。

「何を?」

「あんなふうに、自分がなったことを。あんな態度で話すんじゃなかった。」

「それを、ずうっと考えてたの?」

「いや。でも、今目が覚めて、すぐ思った。すまないことをした、あの子に。」

そして、連れ合いは、上の子がもう自分には、そういう話題で、口をひらかないと思うと言った。たわいもないこと以上の話題で。自分がいっしょに話したいようなことで。

連れ合いのつぶやきを、しばらく聞いてから、私は、じゃあ2つだけ、と話す。

ひとつ。きのうの振る舞いは、あんたのお姉さんとお父さんの様子を、見たこともないけど、思い出したような気がした。おんなじだよ。

もうひとつ。あの子は、そのあんたのことをすごく尊敬している。私よりはるかに、そして、たぶん知っている大人の誰よりも。

そうかな、と、連れ合いは、信じてなさそうに返す。

そうだよ、私は知ってる。私は知ってるんだから。それに、もしかしたら、しばらくは、たしかに、そういう話題は口にしてこないかもしれない。でも、あの子と私たち、まだまだ、この先何十年もあるんだから。

そうかな、と、また、信じられないという口調の返事がかえる。



起きてきた上の子に、台所で、パパがきのうのことをすごく気にしてるけど、許してあげて、と言う。

熱くなっただけだから。で、パパは、さみしいんだよ。コロナのせいで、あんまり実感がないけど、あんたは、来月で家を出て行く。

パパは、あんたと話もしたいし、もっと言うと、あんたに自分ができることをしてやりたいんだよ。おかあさんは、ごはんを作ったり洗濯したり、違う形で、子供に、好きだよーと言う気持ちが表せるけど、パパにはないから。

そんで、パパにできることをしてやりたい、あんたに。パパだったら、知識じゃん、それ。自分の知ってることを教えてやりたい、なにか役に立ちたい。それで、あんな話し方になったんだよ。


ほんとうに、上の子は、これだけのことを、口もはさまず、さえぎりもせず、しゃべらせてくれた。

私は、話しかける時、もうたまにしかしない、ハグをして、それもバックから、子どもの動きを封じるようにして、小声で話したのだ。これは、男親、少なくともうちの連れ合いでは、無理のある荒技だと思う。

でも、父親である連れ合いがしたかったのは、こんなふうに、自分の気持ちや愛情を伝えることだったのに。


しばらくして、台所に現れた連れ合いは、上の子に、すまなかったと言った。そして、私に話した謝罪の弁を、同じように子供に述べた。上の子は笑って、かまわないと言った。

話題が、パパの得意分野だったのも、よくなかったよね、と私が口をはさむ。連れ合いは、ソ連に留学経験のある、語学文学オタクだ。

上の子は、夏のバイトの、湖でのヨット教室の指導員の仕事に向かう。ドアの方に歩きはじめた彼に、私が言う。

「共産主義だったからだよ。パパに自然とスイッチはいったんだよ。別の話題にしないと、今度なんかトピックふるときは。パパの知らない地域とか。」

「そうだね。全然知らない所や、関係ないことで。中国とか?」

明るく笑いながら、上の子が、行ってきますと出て行った。



この子は、おとなになっていた。

自分の父よりもおとなになっていた。

そして、彼の父は、それがさみしくてさみしてくたまらないのだった。


   

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