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「野宿をしながら自転車で日本を横断した話」 6/6 三原→広島 62km

尋常じゃない日差し

ほぼいつも通りの7時ごろに起床。やはりまだ眠たいが、今日の最高気温は30度を超えてくるということで先を急ぐ。寝袋から出て顔を洗い、寝袋を軽く天日干しし、昨日買ったおにぎりとパンを食べる。

数日間続いていた足の痛みは消えたようで、顔の虫刺されなんかも洗顔フォームで無事撃退。軟膏と虫除けスプレーには本当に感謝しかない。これがなかったら今ごろ顔が2倍に膨れ上がっていたと思う。

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公園を出発すると早速自転車乗りが多く見られる。大きなカバンを自転車につけているところを見ると、しまなみ街道を目指しているような見受けられる。

ということで、今日はいよいよ広島市へ向かう。距離としては、ここ三原市からおよそ62km。序盤は平らな道、海岸沿いの緩やかな道。

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途中、なかなか見かけないピンクのクレーン車を見つける。もしかして今日のラッキーカラーかもしれないが、そういうことはあまり気にしない。

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しかし、少し進むと段々と山間部へ突入し、緩やかな坂や途中きつめの坂にエネルギーを消耗する。車通りがかなりのもので、車の排気ガスで歩道にまで熱が伝わる。

さらに容赦なく照りつける日差しも加え、この地域の厳しい暑さを肌で経験する。6月初めでここまで暑いのであれば、中国地方の夏の本格的な暑さはどれほどのものなのか気になるところ。

トンネルを数回通り、さらに10kmほど走り続けると、中間地点である「竹原市」に入る。この街には京都や倉敷のような景観保存地区があるらしいが、広島市での予定が多いので、またの機会ということで。

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目の前に登り坂が見えてくる。酷暑の中なんとか上まで到達し、しばらく下り坂を行く。風を切りながら森の中を走ると、一番夏らしいようなことをしている気がする。登り坂はいつもキツイが下り坂というご褒美があると思うと苦にならない。

山の中を抜けると「東広島市」に入る。が、特にここで観光をする予定はないので先を急ぐことに。歩道がないので、所々車道を走らなければならない区間があったが、この辺りは下り坂が続く。


感動する安さ、再び。

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広島市街目前という所で小腹が空いてくる。近くの「ラ・ムー」というディスカウントストアで少し休憩。12時になったこともあり、昼食を買って店の前で食べることに。

この時点で水筒2本とも空で近くに公園もなかったので、とりあえず惣菜の他に28円の缶のラムネも購入。この時間は日差しが特に強い。キンキンに冷えたラムネが身体に染みていくのがよくわかる。

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弁当が200円未満とほっともっともびっくりの値段。

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購入したお惣菜なんかも、ふきのとうやポテトサラダと、久しぶりに家庭的な食事をしたのでなんだかほっとする。

本格的に暑くなる前に目的地へ行きたいので、自転車を進める。少しすると、ようやく水道が通っている公園を見つける。炎天下で飲む水道水に、自分は今生きているんだと感じさせられる。やはり日本の水道水は美味しい。

その後10kmほど漕いでついに広島市街に入る。道中イオンを見つけたので、フードコートで午後の計画を練ることに。今日廻る観光地の目星がついたところで、広島駅まで10、20分ほど漕ぐと到着。

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駅を正面に見て右側には、早速カープグッズのお店。

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駅には昨今の土砂災害の応援メッセージなのか、「がんばろう広島」と書かれた垂れ幕が見える。

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駅前は路面電車が行き交い、なんだか賑やかな場所だと感じる。


「三本の矢」といえばこの場所

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最初の広島観光として、「広島城」へ向かう。街中は都会の風貌を見せていて、あちらこちらに大きな商業ビルなどの建物が広がる。

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社会見学なのか、多くの小学生が「二の丸表御門」から敷地内へ入っていく。

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広島県護国神社を参拝し、御朱印をもらう。

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外にあまり見慣れない「日本酒アイス」なるものが売っている。が、僕はまだ(2019年当時)20歳ではないのでまた今度の機会に。

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護国神社を出て少し歩いていくと、「大本営跡地」という看板と主に建物の基礎の部分が剥き出しになっているのを見つける。


どうやら敷地内一帯は日清戦争開戦当時に大本営がこの場所に移され、明治天皇の行在所となった場所でもあるのだとか。建物自体は、昭和20年の原爆投下により焼失

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大本営跡地を通り過ぎ、天守閣へ。全体的に黒ずんだ外観だ。豊臣家の家紋である桐紋、中には毛利、福島、浅野氏に関する展示。

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教科書でよく見る三本の矢で有名な「毛利元就」の肖像画なんかも飾っている。

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一風変わった配色の鯱鉾や本丸御殿の縮小模型など、じっくり展示を楽しむ。

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公園内の櫓も見学していると、元就が長男に当てたという「三矢の訓(おしえ)」の複製された書状を見つける。複製の物は読めたものではないが、現代語訳を一通り見てみることに。

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最上階は展望できる造りとなっていて、広島市内を一望。この街が75年前に焼失してしまったと考えると、思わず固唾を飲んでしまう。


戦争と平和

下城した後、いよいよあの「原爆ドーム」を目指す。初心者マークの軽自動車に轢かれそうになってひやひやするも、なんとか無事故で到着。

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原爆ドームが目の前に現れる。この時点でがもう潤い始める。

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修学旅行生か社会見学なのか、中高生がちらほらと見られる。千羽鶴も至る所に飾られている。

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中央のモニュメントで手を合わせてお祈りを済ませ、敷地内にある「平和記念資料館」を見学することに。

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メインのモニュメントの近くにもう一つ。これはどうやら、原爆が投下された時刻の「8:15」を表しているらしい。皮肉にも、この時刻と同じ日付に敗戦の日を迎えることとなった。

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当時の光景を生で見ているようだ。文章や絵、写真を用いて当時の様子を描写的な説明と共に紹介されている。

焼けただれた背中、追いつかない手当て、それから「死の斑点」と言われた現象など。悔しくてやるせない気持ちに溢れる。こんな残虐なことが起きたのがここ、日本だということを改めて思い出させられる。

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感傷的な気持ちになっていたが、資料館を出る直前にライトアップされている壁を見つける。そこには、戦争の記憶と平和への祈りを込めたメッセージが様々書かれている。戦争から学び、未来志向である必要があるということを改めて感じる。

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お好み焼き屋さんでの出会い

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その後ゲストハウスへ向かう。原爆ドームから少し自転車を進ませたあたりの「西広島」というところへ。

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いかにもカープが好きそうな受付のおっちゃんに2段ベッドが2つ置いてある部屋に通される。

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受付のときにいただいた観光案内のマップにあった「ひで家」というお店で夕食をいただくことに。

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テレビで流れている野球の試合は「広島対西武」。スコアは「2−9」とカープがコテンパンにやられている。せっかく広島にいるので勝ってもらいたいところだが。

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やっぱり広島のお好み焼きは麺類を下に敷くらしく、そばうどんを選べるという物だった。

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目の前の鉄板で調理されるお好み焼きがまずいはずがない。熱々なのが気にならないほど食が進む。

店主の方に、「どこから来たの?」と話しかけてもらう。「青森からです!」と答えると、そこから隣に座っていた地元の方とも話が進む。留学や英語のこと、その方のお仕事のことについて色々話をすることに。

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だいぶ長い間食べながら話していたので、次のお店を奢ってあげるからと、近くの焼き鳥屋さんへ行くことに。そこでも、店員さんや気さくな常連さんと話しながら自慢の焼き鳥をいただく。

あまり聞き慣れない部位のお肉なんかも持ってきてもらい、本当に感謝しかない。

11時半くらいになって、良い旅の出会いに別れを言い、名残惜しいがゲストハウスへ戻ることに。また己斐(こい)に来たら立ち寄りたい。

そこそこ疲れていたので、歯磨きをしてすぐベッドに入る。今日も充実した1日で十分満足。