ヴィンテージ
古着、それもヴィンテージと呼ばれるものが好きだ。一言では説明できない位深く、それでいてかっこいい。
古着を説明する上でよく人から言われるのは、
「人が着たものを着ることが嫌だ」
「知らない人が着たものを着ることができない」
上記二つの理由などがある。
正直そういうふうに考えてしまえば古着の魅力は伝わらない。
個人的な見解だが、
古着とは考え方だと思っている。
心がどうであるか。それが重要。自分が古着に対して思うのは、
「経過してきた時間を今自分が受け継いでいる」
と言う考え方。
自分が生まれる前より先にあったものが、 何らかの形で自分の人生に登場し、 それでいてまだ新たなストーリーを表現してくれる、その過程こそが1番素晴らしいものであると思う。
もう1点。
広島の古着屋さんで喋っていた時に生まれたクリエーションを紹介したい。
古着として残っているものは絶対にかっこいいという定義について。
結論、明確で昔かっこいいと思われていたものしか残らないから。残り続けていないから。
中途半端なものはその過程で愛着なく捨てられたり、燃やされたりして無くなっていく。
何年にもわたって常にクローゼットのなかでトップを獲得し、かっこいいと思われつづけてきた所謂お気に入りの服が、時代を超えて今まで残っている。その論理から、古着にかっこいいものが多いと言うのは大いに納得できる。
また服飾には流行りというものが存在し、
往々にしてシルエット、形等の問題がある。
昔のメンズファッションに総じていえるのは、
着丈が短くて身幅が太い、ずんぐりむっくりシルエットだ。特にスウェット類(トレーナー、パーカー)ジャケットやシャツ。そう、アメリカ古着の典型である。
一方、レディース服の素晴らしいところは、時代が変わろうが、どんな服の形も無数に存在するということ。
民族衣装であったり、セレモニー衣装であっても、スッとファッションとして成立できる土壌がある。また、歴史的背景を見ても服としての母数が全く違い、メンズ服がレディースに往々にして勝てない理由だ。
話を戻す。
ヴィンテージの入門としてお勧めしたいのが、ペンドルトンのウールシャツである。
袖丈が長く着丈が短い。
古着のものは何度も洗いにかけられているため、袖丈が短くなり、ちょうど良くなっているものが多い。
日本人は比較的腕が短く、胴が長いため、ドンピシャなジャストシルエットが出来上がるのだ。
個人的な思想ではあるが、これは
ウールという特性のデメリットである縮みを、
人種を超えてカバーできるという素晴らしい発見だと思っている。
1970年代80年代ぐらいのシルエットがウールが縮んでちょうど良くなっているものが多い。
柄によっては少し割高のものもあるかもしれないが、殆どの古着屋で見つけることができ、比較的値段も安定しているため10,000円以内で購入できるのでかなりオススメ。 ちなみに現行のペンドルトンは新品で2万5000円前後なのでヴィンテージの方を強くお勧めしたい。現行だとシルエットもうまく合わないため、(cottonの物もある)よほど古着に抵抗がなければ昔のものを選択した方が知見が広がり、なお良し。
ヴィンテージの定義はかなりあやふやだが、 一説によると、1970年代より前のものはヴィンテージとよばれ、1920年以前だとアンティークという位置づけ。これもかなりあやふやなので、一応他サイトから引用したのを下記に添付する。
自分は服のおかげで人生が変わり、
ヴィンテージに出会えたことで生き方が変わった。
人生を少しでも楽しくする、きっかけになれば。
2019/12/27
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