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規律と信頼、そしてクリエイティブ|Memo

これまで規律が不明確だった組織において、新たに規律をつくり運営をしていくのは、なかなか骨が折れること。やりにくいとか締め付けだとか柔軟性がなくなるとか信頼関係が損なわれるとか、批判的な声も上がり続ける。それでも基本的には、規律は、規律外の行為によって困った人がおり、その人を助ける必要があると判断されたから作られている。規律によって、お互いが助けられているところがある。

規律があることで、この組織は困ったときにはどういう判断をする組織であるかが分かる。分かってさえいれば、それを土台にして、どのようにやりたいことを実現すればいいかが明確になる。困るのはむしろ、いつも誰かの裁量次第で判断が変わり、その裁量を持つ者の価値観、経験、志向性、好み、その時の精神状況等を伺っていなければならないことだ。規律があっても運用が恣意的である場合も同じだ。

おそらく結局は、規律だけではなく信頼もセットになって、うまく動く土台になるのだろう。そしてその信頼は、積み上げるには時間がかかり、失うときは一瞬だ。

公民連携(PPP)の現場では、実際は「この分からず屋!」と感情的になることもたくさんあるけれど、相手の関心が異なれば見えている世界は違うのだということ、相手と自分の間には必要な信頼が十分には積み上がっていないのだということ、それでも目的と背景を明文化しながらすりあわせれば、方法論においてもなんとか何かしら合致する部分も生まれてくること。これを信じて日々を積み重ねている。

公民が信頼関係に基づいた「共犯」関係になったとき、お互いにこれまでトライしなかったことにも踏み込みながら、クリエイティブな実践が生まれてくる。キーパーソンが持つ信用だけでも、契約等によるリスクとリターンの分担だけでも、チームプレー・個人プレーによる突破力だけでも、一点突破は難しい。局面に応じて必要な規律と信頼を土台にし、クリエイティブな実践が支えられている。

だから事例は、部分的に真似をしても再現性がない。同じスキームを導入しても、その運営は人によるし、その信頼関係は自分たちでしか積み上げられないものだ。

たとえお互いの間に長い歴史に基づく根深い不信があったとしても、未来をつくるのはイマココにいる人同士でしょ。新たに規律を作ればいいし、不都合な規律は変えればいい。その上にクリエイティブ。

(190922)

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このメモは、篠田真貴子氏のnoteを読んで触発されて書いたものです。

篠田真貴子氏「オペレーション中心であれ、クリエイティブ中心であれ、どのような仕事にも規律と明確な指揮命令が有効な部分と、自由闊達な創意工夫が有効な部分がある。そこを丁寧に見極め、規律が有効な部分については、それを組織内に徹底する。規律が、組織内の共通言語と相互信頼を育む。それを土台に、自由な議論や創意工夫がなされる。」

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