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ヤジ排除国賠01 上田文雄弁護団長(元札幌市長)の意見陳述

 2020年1月31日、札幌地裁で行われた、ヤジ排除国賠訴訟の第一回口頭弁論で、原告である大杉のほか、弁護団長である上田文雄さんも弁論に立ちました。その内容を、ここにも転載しておきます。 


以下、転載
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 審理に先立ち、代理人の意見を陳述させていただきます。 

 審理の対象となる事実関係については、この後取り調べ頂く「甲第3号証・甲第5号証」の動画、並びにただいまの原告の意見陳述により明らかである。

 先の参議院議員通常選挙において、安倍首相が札幌駅前などで行った街頭演説をしている折に、社会福祉施設で働く原告が、日頃から福祉行政をはじめとした政治に対する批判的見解ないしは市民的な不満を、行政の最高責任者に対して直接肉声で表現し届けたいと思いたち、たった一人で声を発した。

 これを見るや、街頭演説の警備に当たっていた北海道警察の警察官が、原告を羽交い絞めにするなどによって身体の自由を拘束し、演説会場の後方に強制移動させ、原告の発言を封ずる結果をもたらした、というものであります。

 この警察の行動に与えられる法的評価は、原告を「逮捕し強制移動させた」ということであり、これにより原告の政治的意見を「表現する自由」を制限し封じたということである。

 原告は本訴訟において、警察権力によって「逮捕・強制移動」され「政治的表現の自由を制限」されたことに法的根拠がない、即ち違法であることを主張し、これにより原告が被った精神的損害の賠償を、加害者である北海道警察(北海道)に対して求めるものであります。

 原告の本件行動は、警察官の実力行使によって身体的拘束を受け、表現の自由を制約されなければならないものであったと言えるか。

 例えば公職選挙法225条2号所定の「演説妨害・選挙の自由妨害」の罪に該当するといえるのであろうか。

 答えは、否である。

 街頭演説会場の一聴衆である市民が、肉声で演説に批判的意思をぶつける行為は、演説を中断させる訳でもない以上、これをもって「演説妨害・選挙の自由妨害」の罪にならないことは、裁判例等によっても明らかであり、選挙の街頭演説の警備に当たる司法警察員たるものは、すべからくその判断基準をわきまえていなければなりません。

 警察官職務執行法はどうか。

 同法5条所定の「犯罪がまさに行われようとするのを認めたとき」に該当しないことはもとより、同法2条の「職務質問」の限界もはるかに超える行動と評価せざるを得ず、警察官の本件行動を根拠づける法的根拠は見出しがたい、と言わねばなりません。

 しかるに、原告は何故警察官によって実力排除されなければならなかったのか。

 事件発生から6ケ月半の日時が経過した今日に至るも、北海道警察は北海道議会での質問に対する答弁、あるいは国会における警察庁の答弁においても、更にはマスメディア各社の度重なる北海道警察への質問に対する回答においても、すべて「現在事実関係を調査中である」との答弁が繰り返えされている現実がある。  

 答えない、法的根拠について答えられないというのが現実なのでありましょう。

 北海道警察の原告に向けられた本件実力行使が、何らの法的根拠なく、即ち違法に原告の「政治的表現の自由」を奪うためになされたからにほかなりません。

 改めて言うまでもなく「表現の自由」は憲法第21条に定められた国民の基本的人権であります。

 「個人の尊厳」を国政上最大の価値と位置づけ、これを最も実現する政治体制としての国民主権・民主主義が採用され、表現の自由の保障はその中核をなす人権であって、最大限尊重されなければなりません。反面、これを制限するためには必要最小限度のものでなければならず、厳格な判断基準をクリアされなければなりません。

このような「表現の自由」の価値については、講学上
 ① 自己実現の価値
 ② 自己統治の価値

が込められていると説かれることがあります。

 「自己実現の価値」とは、自らの内心の自由、思想信条の自由を保障されたとしてもこれを他に表現する自由がなければ、自らの人格を発展させ深め完成させることができないことを意味するのでしょう。もの言えぬ状況下において人々は思考停止するしかないのです。

 「自己統治の価値」は、自らの意思・意見を発言できなければ、社会への参加もできず、市民自治・民主主義の主人公にもなり得ない、それが自己統治の価値と言われるものでしょう。

 このように「表現の自由」は個人的にも社会的にも重要な権利であって、これを制限することには極めて慎重でなければならないというのが、民主主義を標榜する世界の共通認識である。

表現の自由を制約する法律の違憲審査基準として
 ・明白かつ現実の危険 の法理
 ・利益衡量説
 ・より制限的でない他に選びうる手段 の法理
などなど、表現の自由の価値を保つため努力してきた歴史があります。

 しかるに、本件北海道警察によって行われた原告の実力排除行動は、原告の表現行為を実力排除する行動であることに鑑みて、実力排除するに至る法的根拠がないことはもとより、「表現の自由」を尊重する姿勢が一切見受けられず、原告の表現の自由を明らかに蹂躙するものであった。

 原告の意見陳述の中にもある通り、これは原告という一市民の「表現の自由」が一時的に制約・侵害されたということに留まらない。かかる警察行動が許されるなら、多くの市民が政治的発言に謙抑的とならざるを得ず、また政治的意見形成のための思考を停止することにもなろう。

 自己実現の価値そして自己統治の価値のいずれに対しても土足で踏みにじる行動であって、民主主義の空洞化をもたらし、権力の腐敗さらには国政を誤らせ、国民の権利は危殆に瀕することになること、戦前の我が国の歴史を紐解くまでもなく明らかである。

 私たちは、原告の人権はもとより、表現の自由のもつ社会的価値を護るためにも、北海道警察の本件排除行為を見過ごすことはできません。

 そして、このような「表現の自由」を侵害する警察権力の行動を弾劾し是正することができるのは、他の権力から独立性があり、憲法の価値をまともに解釈適用することができる司法権・裁判所を措いてほかにはありません。
 
 特に、本件において注目すべきことは、本件警察官の行動が、現場における一警察官の判断ミスに基づく行動ではないこと、北海道警察の組織的意思に基づいて行われている点、あるいは北海道警察が今日まで「答えられない」状態を作りだしているのは国家警察組織の意思に基づくものである可能性が極めて高い点に注目し、病根の深さと憲法的価値が危殆に瀕していることを感じ取らざるを得ないところにある。

 裁判所においては、憲法の番人の一角を占める御庁において、厳しくご審理を願いたい旨付言し、代理人の意見陳述と致します。


大杉による意見陳述はこちら↓


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