【感想】“観察”を読んだ雑感。
最近読んでる本で、なるほどなーと思ったとこがあったんだけど、聞いてくれる?
“観察: 「生きる」という謎を解く鍵”
っていう本なんだけど。内容は、相田和弘さんっていう観察映画という手法でドキュメンタリの映画を撮ってる人と、アルボムッレスマナサーラさんというスリランカ上座仏教(テーラワーダ仏教)の長老さんの対談。
観察、というテーマで話してて、
その中に「“観察”は出来事をそのまま見るコト」みたいなこと書いててさあ。
それでいうとストーリーって嘘じゃない?みたいな箇所があるわけ。
ストーリーって、ほんとは色んな意味を持った出来事を、編集してつなげて勝手に“意味”をもたせるわけだから。
例えば口の周りにケチャップついた人が歩いてて、その後ろにナポリタンの容器が落ちてたら「あ、あの人ナポリタン食べたんだな」って思うじゃない?
でもさ、食べてるところを見てなかったらそれってただの妄想なわけじゃない。たまたま口にケチャップが付いた人が空っぽんのナポリタンの容器の前を歩いてたとか。
でも、その様をみたらほとんどの人がそう思っちゃうって。
で、その理屈でいうと、嫌なこととかもだいたいが妄想だったりするわけじゃない?
あ、なんかあの人嫌いかもな、とか思って見ると、だんだんその人がする行動全部が勘にさわるじゃない。やっぱりやなやつ、みたいなさ。
すごいよね、なるほどなーって思った。じゃあ、物語ってよくないじゃん、って思ったんだけど、そうじゃないのかもって思った。
つまりさ、物語を作るのって脳みそがだいたい勝手にしちゃうから、じゃあなるべくマシな物語を考えられるように色んな物語をみようよ、ってことなんじゃないかと思うわけ。
いい物語のストックが頭にあったら、あれってこれかもな、って風にマシな物語に変えられるじゃない。
まだ、読んでる本半分くらいだから、全然違う解釈かもしれないけど。
物語って、そういう役割があるんじゃないかなあ。
どう思う?
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2/29の日記
朝から起きて、パンに「切れてるバター」をのっけて食べた。
9割くらい焼いてからバターを乗っけてラストスパートかけるのおいしいよ。
で、コッぺくんの連載ネームをやりつつ、NETFLIXでドロヘドロを流してたらすごい面白くて…結構みちゃったよね。。
夕方前に奥さんが仕事から帰ってきてうちの母に会ってチョコもらってきた。で、元旦以来会ってないし、ご飯食べにでも行こうかってことになって、二駅となりの沖縄料理屋にいってきた。
キプリングのゴリラの話してたから持ってきて見せてくれた。
途中からたばこ吸いまくるおじさんがいてめっちゃ臭くて頭痛くなってきて。3時間くらいたったから帰ったのよ。
眠い、でもネームヤバくて、5話めをなんとか夜中までにやったって感じ。。
面白いと思ったけど、今朝直しが。ズコー
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