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明石&はくさい 『天気の子』について大いに語る

登場人物紹介

天気の子:新海誠監督最新作。家出少年が天候を操る能力者の少女に出会うボーイミーツガールアニメ。

明石:オタク。アニメ映画が好き。最近『CytusⅡ』という音ゲーにハマっている。

はくさい:オタク。『アイカツ!』シリーズが好き。最近漫画『かげきしょうじょ!!』にハマっている。

リチャード:明石とはくさい共通の友人。アホみたいに映画を観ており周囲から映画サイボーグと恐れられている。今回の座談会には参加していないが、話題に上る。


『天気の子』を大いに語る

はくさい:今回は新海誠監督最新作『天気の子』が、僕たちの周りのオタクたちの間でも、観た人によって感じ方がかなり異なっているのが面白いということで、ちょっと意見交換しておこうということになり、こうして集まったわけですけども。前哨戦となる『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』の話がひと段落したということで、そろそろ本題に入っていこうと思います。明石さん、よろしくお願いします。

明石:よろしくお願いします。

はくさい:では、まずはお互いの『天気の子』の感想を語った上で、気になるトピックについて語り合っていきたいと思います。

明石:では僕の感想からでもいいでしょうか?

はくさい:よろしくお願いします。

明石の『天気の子』感想

明石:『天気の子』は3回見に行きました。2回目の後ですが、改めて『君の名は。』を見返しましたけど、やはり『天気の子』は映像作品としての進化がすごいと思うんですよ。

映像美みたいな部分はすぐ見て分かると思うので、なるべく独自の角度からにしたいんですが、まずはいきなりなんですがモノローグ。登場人物の独白部分というのは新海作品を特徴付ける要素の一つだったと思いますが、これまでと比べて使い方が格段によくなったと感じるんですよ。

例えば冒頭。今作でもいきなりモノローグから始まるわけですが、そのときに入ってくる語りというのが、陽菜が病室から神社を見つけてそこに行った結果、不思議な世界を目にしたという下りですね。

ここで重要なのが、画面の向こうで起こっていることや、そしてそれに対して思ったことのように、語りが何について話しているかが明確だというところなんですよ。

これまでの作品での冒頭のモノローグっていうのはどうだったかっていうと、いきなり何の文脈もなくキャラクターの内面的な心情なんかをそのまま入れてくるんですよ。

はくさい:そうですね。だいたい内省的なものを最初に提示してましたね

明石:例えば『君の名は。』だと、大切なものを探している感じがするとか起きたら泣いてたとか、それが何かわからないとか、そういうところから入るんですよね。「雲の向こう」なんかだといきなり、

「いつも何かを失う予感があると、彼女はそう言った。」

から入るわけですよ。これ、何を言っているのか最初の段階ではまったく頭に入らないんですよね。もちろん、話が進めばある段階でこれが何を言っていたかは分かるようになるんですけれど、最初に見た時には文脈が何もなさすぎてまったく印象に残らないんですよね。そういう時間が流れるんですよねこういったモノローグが出されると。

はくさい:はいはい、なるほど。

明石:後から何を言ってたかが分かって初めて効果を持つ演出なんですけど、そこに至る仕込みのために冒頭のとても重要な時間をこのような形で使うというのはちょっともったいなかったんじゃないかなと思うんですね。

ところが、『天気の子』では大きく変化していて、冒頭の語りが、これは何についての話かっていうのが明確に分かるようになっているんです。まず、目の前で起こっていることについての語りがベースになっているんですね。「それは光の水たまりのようだった」とか、思わず病院を出たとか。

そして加えられるのが「これは二人だけが知っている世界の秘密についての物語だ」とかっていう。この部分も、中身については何を言ってるかよく分からなくても、何について話しているのかだけはきちんと分かるようになっていて。

はくさい:そうですよね。どこに到達する話かっていうのが最初に示されてるっていうのは確かに。

明石:これまでの作品だと、途中途中、完全にキャラクターの内面に入り込んで、こんな風に感じました、みたいなある種独りよがりなモノローグが結構挟まれていたりしてたんですが、『天気の子』におけるモノローグは、全体的に間違いなく何について語っているかがはっきり分かるような形になっているんですね。

はくさい:そうですね

明石:モノローグというと、新海監督の作家性みたいなものが典型的に現れていた部分だと思うんですけど、誰にでもより分かりやすいようなやり方を採用しつつ、でも「あの日僕たちは世界の形を変えてしまった」みたいな大仰な持って回った、これもまた独りよがりみたいな言い方をしてくるというのは、つまりやりたいことを変えないまま、手法だけを洗練させた、そういう感じがするんですよ。

はくさい:そういうところを以って、『君の名は。』より天気の方が進化しているっていうことですね。

明石:最初に見た時まずいきなりそこで感心したんですよね。それがまずモノローグについてです。

明石:あとは、音楽の使い方ですね。『天気の子』ではRADWIMPSの劇伴の用いられ方がものすごく上手くなっているという気がしていて。例えば、一番盛り上がるところで曲も一緒に盛り上がる、みたいなシンプルなところにこれまでにない気持ち良さがあるんですよね。

『君の名は。』でいうと、一番音楽的に盛り上がって気分が最高潮を迎えるであろう瞬間っていうのは、三葉が走って走って、隕石が落ちてくるところ、スパークルがかかるところだと思うんですけど、

はくさい:「運命だとか未来とか〜」のところですよね。

明石:その瞬間がおそらく一番盛り上がる瞬間だろうと思うんですけど、最初に見た時に感じたのは、これが不完全燃焼感なんですよね。率直に言って煮え切らない感じがしてしまったんですよ。

それが『天気の子』でいうと、空から落っこちてきて最後青空の中を真っ逆さまに落ちていくところで、その瞬間に、グランドエスケープがかかるわけですよ。その瞬間に帆高というか二人は一番大事なことをそこで叫ぶんですよね。「晴れなんかじゃなくていもいい」だとか。そういうことを叫んで、つまり人物たちの感情もそこで最高潮を迎えて一番大事なことを一番はっきりと伝えて、その瞬間に一番美しい映像と音楽がぴったり重なる瞬間がやってくるっていうのが素晴らしいんですよ。

はくさい:なるほどそっかそっか。

明石:その辺の噛み合い方なんですけど、『君の名は。』の例の盛り上がるシーンだと、あえて何が起こったかをボカすための演出だと思いますけど、誰かが何かを叫んだりとか何か会話をするっていうのをバッサリとカットして、三葉が父親の前に現れたところでぶつ切りにしてしまうっていう演出だったんですよね。

ところが、そこで感情の爆発みたいなものも一緒にカットされてしまったまま、クライマックスの瞬間に突入したっていうのが、そこで盛り上がってきた熱量が逃げた感じがしてしまうんですよどうしても。

はくさい:うーんなるほどそっか〜はいはい

明石:あれはあれで演出意図があってああなっているというのは汲み取れるんですよね。そもそもあそこでなされたであろうこまごまとした会話というのはドラマの中心でもないといえばないですし、見せない理由もよくわかる。分かるんですがやっぱり、父親が三葉の言うことを信用しようという気になるというドラマチックな瞬間の描写があれだけというのはなんというか煮え切らないものがあるんですよね。

はくさい:そうなんですね。

明石:なかなか伝わるかどうか微妙ですが。

はくさい:でも理屈としては納得はできるかなとは思います。

明石:どういう形にせよやっぱり、最高の瞬間に感情の最高潮がやってきて、その他の演出も全てが合わさってていう方が気持ちよかったんですよね。そのあたりで、『天気の子』が作品として進化していると思っています。

はくさい:なるほどなるほど

はくさいの『天気の子』感想

はくさい:じゃあ今度は僕の全体的な感想をおはなしします。僕も『君の名は。』との比較になるんですけど…。

僕はやっぱり『天気の子』で格段に進化した部分は多いと思いつつも、やっぱり全体的なバランスは大ヒットしただけあって『君の名は。』の方がすぐれている部分も多いと思っていて。

『君の名は。』って観ていてあっという間に時間が過ぎるアニメだと思っているんですよ。次々と興味をそそられる展開がやってきて、退屈している暇がない。それは新海誠監督がストーリーを例の「感情グラフ」に忠実にとても上手くコントロールしてるからだと思うんですよね。

観客の感情の起伏に合わせてストーリーに緩急をつけているっていうやり方ですね。で、天気の子は、観客の感情よりも登場人物(帆高)の感情をベースにしてストーリーを作っているみたいな話を聞きまして。ちょっとどこで聞いたのか憶えてないんですが、確かに観客の心を揺さぶるのにより特化してつくられているのは『きみの名は。』の方だと思うんですよね。

明石:あーそれはわかります

はくさい:『君の名は。』は提示される謎や違和感が、早い段階で解消されるっていう展開の連続なんですよね。最初、おっぱい揉んだりして、三葉の中にいるのは別の人格らしい、瀧くんの中にいるのがどうやら三葉らしいってことが提示されたらすぐに入れ替り現象の詳細が「前前前世」に合わせて明かされたり、後半では三葉に電話が繋がらなくて入れ替わりがなくなってしまったことが分かると、すぐに三葉の故郷を探しにいって三葉が実は3年前に亡くなっていたことが分かったりだとか。そういう疑問の提示とその回収をはじめとして、観客の興味をずっと持続させることに成功していると思うんですよ。

対する『天気の子』は、東京に来てから帆高が街を彷徨うくだりを長く感じたっていう意見を多く見かけるんですが、実際にはそんなに時間を掛けて描いているわけではなくて、それは物語のフックとなるようなものがなくて、どんな話なのかも分からないまま進行していくから体感的に長く感じるんだろうなと。

明石:あーはいはいはいはい。『君の名は。』は不安や期待を抱かせる要素をいろんなところに仕込んでいたのに対して、『天気の子』では、天気の巫女の運命はどうなるみたいな話は後の方に追いやられた形なんですよね。それがないまま東京での暮らしってのをやったので、これどこにいくんだろうってなるっていうのは確かに。

はくさい:それで、どこに興味を持って何を期待すればいいのか分からないまま話がすすんでしまうっていうのがあると思っていて、でもこれは帆高の感情に寄り添った展開だからこそなんですよね。ただ、多くの観客が物語にノれるキャッチーさは『君の名は。』の方が優れていると思います。

明石:それは確かに。

はくさい:でも、天気の子の展開の方が優れている部分はあると思っていて、それは帆高っていうキャラクターに寄り添ったストーリーになっている分、帆高に感情移入できた場合は、いっそう観客のエモーションも増すつくりにはなっていると思うんですよ。そう思い至ったのはなぜかというと、1回目に見に行ったときより2回目の方が面白く感じたからなんですけど。

明石:なるほど。

はくさい:もし3回目を見に行ったら、さらにこの作品のことが好きになるだろうなという予感があるんですよね。っていうのは、この子たち(帆高と陽菜)への親しみだとか、応援したい気持ちが増せば増すほど、より作品自体のエモも感じられるつくりになっているからで、そこはストーリーの仕組みとしての上手さがやや人工的だった『君の名は。』にはあまり感じられなかった魅力かなと。

逆に例えばですけど、たまに『天気の子』への批判にとして、帆高が、なんでたいしたことなさそうなのに家出したのか、甘えてんじゃないか、みたいなことを言う人もいると思うんですけど、そうやって帆高と自分の間に線を引いてしまった人は、帆高のエモーションに乗れないから、そんなに楽しめないんじゃないかという気もするんですよね。


世界観とビジュアルについて


はくさい:僕は初見では『君の名は。』のほうが音楽、特にボーカル曲の使い方が良かったかなっていう印象があったんですね。『君の名は。』の一番の盛り上がりにかかる「スパークル」と、対になるボーカル曲っていうのは、『天気の子』では空の上の世界に行った時にかかる「グランドエスケープ」だと思うんですけど、僕はその部分にイマイチ乗れなかったんですよね。

明石:そうなんですか。

はくさい:その理由の一つが、後々考えてみると曲自体じゃなくて空の上の世界のビジュアルがパッとしないからだったんじゃないかと気づいて。

明石:なるほどなるほど、私は曲に乗れなかったということはないですが、空の上の世界についてはまったくそう思います。

はくさい:東京の街の描写の素晴らしさと比べると、特に現実的なイメージがないフワッとした空の世界は絵的なパッとしなくて。その印象に引っ張られて曲と演技とアニメーションのエモーションを僕は感じづらかったんですよね。現実世界を模写しながら美しく切り抜くような絵面はとても優れている一方で。

明石:じゃあその話ちょっとしましょうか。空の上の世界、あそこに関しては、あれはよくないなあって思うんですよ。

はくさい:(笑)そこは同意であると。

明石:名作と言われるような長編アニメ映画って、印象に残って同時にその作品を表すような美しいロケーションというのが一つや二つはあるんですよね。例えば、「風の谷のナウシカ」で言えば、腐海の最深部に広がる水源だとか、あるいは「もののけ姫」だとシシ神の森のような神秘的な空間ですね。新海誠作品だと「君の名は」の宮水神社の御神体がある例の場所なんかもそうなんですよね。そいういったロケーションというのは背景として美しいのみならず、ストーリーなどにも絡んでくるような非常に重要な場所として描かれていたわけです。

天気の子でも、鳥居のある廃ビルなんかは、作品の中でも非常に重要な位置を占めると同時にとても魅力ある場所として使われていたというふうに思うんです。陽菜が鳥居を潜ったことで天気の力を授かった場所であり、帆高との出会いにおいても重要な場所ですし、あそこで銃を投げ捨てたということが回り回って伏線的に働いたりもするわけですね。そうやってキャラクターたちやストーリーとも密接に関わるようなロケーションな訳です。

ところが一方で、陽菜が鳥居を潜って目の当たりにしたり、帆高が全力で走り抜いた先に広がっていたあの空の上の場所は、そういった視点で言えば魅力がなさすぎるんですよ。

はくさい:そうですよね。

明石:まず第一に、ないもないただの原っぱが広がっているだけっていうのが絵的に面白くないんですよ。加えて、映像を面白くするための仕掛けのようなものも何もないんですね。あの場所がどのように使われたかというと、草原の真ん中にいるだけか、ただ飛び降りるかっていう、それだけなんですね。それが実にもったいないと思うんです。もっと色々できただろうと。さらにしかも、一番最初にビジュアルとして最初期に固まったであろう絵っていうのがあの雲の上の世界なんですよね。

はくさい:そうでしたね。

明石:あれは本当にちょっとよくわからなくて、

はくさい:(笑)

明石:最初に出てきたビジュアルがあの雲の上の世界でしたけど、まずあれを見て思ったのは、あの雲の向こうの世界が何かしら冒険のような舞台になるのかな?と。つまりあそこで見せたのはほんの外見だけで、そこからさらに何か世界が広がってるんじゃないかという期待があったわけです。ところが蓋を開けてみると、あそこで出したものがあのロケーションの全部だったという。

はくさい:キービジュアルにも使われている場所なのに、出番も少ないし、重要度もさほど高くありませんでしたね。

明石:ファンタジーとして特殊なロケーションを一からデザインするのってこんなに上手くなかったっけ?って思ってしまったんですよね。「星を追う子ども」ではそうでもなかった気がするんですけど。

はくさい:僕は「星を追う子ども」は前半を流し見した程度なんですが、説得力があるファンタジー世界をちゃんと描けていたように思いますね。

明石:そうなんですよ。それに映像面だけでなく、空の世界には例えば、雲の上には未知の生態系があってというような説明がされていたと思うんですが、そういった設定の作り込みとかディテールみたいな部分も説得力が薄いんですよね。チグハグな上に作品として活かしきれてない気がするんです。

はくさい:あー。あれ、言われるまで忘れていたくらいには、ほとんど活かされてなかった要素でしたね。

明石:例えば冒頭、帆高が船に乗っている場面で、よくわからない何かが船の上を横切ると、急に水が大量に降ってきましたけど、あれはなんだったんだろうと。変な鳴き声がしたので謎の生物の仕業だと思うんですけど、何が起こったのか全然わからないんですよね。

はくさい(笑)

明石:他にも、男子二人が路地裏で、よく分からない生物に遭遇したらいきなり大量の水が降ってきた、みたいなくだりもありましたが、あそこも結局全然分からない。

明石:作品の文脈を汲み取る限りでは、あれは世界のバランスが崩れて、本来起こりえないような異変が起こっているということを表しているというところまでは分かるのですが、それ以上のことが全然分からないんですね。

明石:加えてビジュアル面にも問題がありそうだなと。空の魚などですが、あまりにも捉えどころのない姿をしすぎていて、あれはどんな生き物だったのと言われてもまったく印象に残らないんですよね。形状といい泳ぎ方といい、ただ丸くてキラキラしたものが連なっているだけで、生物としての説得力が薄いし、生態系と言えるほど生態系があるように描かれていたわけでもないと。そのあたりのビジュアル面の弱さというのは空の世界全般にあると思います。

明石:チグハグな部分というと、作品世界の根幹となる設定にも繋がってるんですよね。たとえばオカルト的な部分ですが、2種類の系統の神様がいて、天気の力を持った人間がいるんだ、みたいな設定が占い師の口から詳しく語られるわけですね。これが、占い師なんて適当なことを言ってたんだで片付けられるような与太話に見える作りではなく、余計なことを言っているようにしか聞こえないように思うんですね。例えば晴れ女に加えて、雨女もいるなんて情報がここで出てくるんですよ。

はくさい:あーはいはい

明石:それぞれこんな性格でこんな特徴を持った人間で、とか詳細に語られるんですけど、いや雨女ってなんだよっていう。ほんとうにあそこで出てきてましたからね。いやなんだよそれって。最初にその晴れ女がいて雨女がいてって言われたら、それもしかしてあの二人のことなの?とか想像しますけど、これがミスリードっぽいんですよね。だって全然後の方関係ないじゃないですか

はくさい:そうですね。そうですよね。

明石:しかも、天候を晴れにする力を持っているわけですが、最後の方のいきなり雷を落としたりするじゃないですか。その力はなんだよっていう。

はくさい:突然出てきましたよね(笑)

明石:この辺りが非常にチグハグだというか、本当にちゃんと作ったんだろうかと疑問に思う部分なんです。しかも、神社で爺様が世界の成り立ちについて語ったりしますけど、作品世界の設定をそのまんま喋ってるだけじゃないですか。

はくさい:うんうん

ストーリーテリングについて

明石:さらにそこで語った内容っていうのが、例えば天気の巫女には悲しい運命が〜といった部分なんかは完全に、作品でこれから起こることそのものなんですよね。そういう情報の開示の仕方についても非常にマズいなあと思うわけです。

明石:あるいは情報を出す順番にしても、天気の力を行使すると地上から消えてしまうっていう情報なんかは占い師と爺様という2度に渡って語られるんですよね。そしてそれが夏美から直接陽菜に伝わって、その後ようやく、空に吸われていって体が消えちゃいそうになる下りが描かれるっていうのはそれでよかったのかなあと。

はくさい:スマートではないというか。

明石:例えば陽菜の様子が少しおかしい、みたいな描写を先に入れて、観客に対して疑問を作った上で、「天気の巫女には悲しい運命が〜」という話をされたほうがまだ説得力がありそうなものなんですよね。全部先に設定を出してこられてその通りのことがその通りに起こりましたって言われてもひねりもへったくれもないんですよね。

明石:つまり、陽菜に待ち受ける運命を通じて、どうなっちゃうんだろうっていう期待を持たせるような作り方もあったろうにも関わらず、いやいきなり消えちゃうんですって最初にいきなり情報を出してきちゃうんですよね。

はくさい:たしかにそうですね。『君の名は。』みたいに気になる描写を入れて、後でそれが解消されるっていう話の流れじゃなくて、こういう設定です、こういうことが起こりますというのを説明で済ませちゃった形なんですよね。たしかに次のストーリーに興味を持たせるためのフックとしてはちょっとよくないですね。

明石:そうなんですよ。ただ、先に情報を全部出してしまうというのも、話の作りとしては見方によってはアリなのかなとは思うんです。

例えば、一部ネットでは『天気の子』美少女ゲー説とかありましたけど、あそこで占い師が作品と世界に関する核心的情報をいきなり全部語るというのは、これはゲーム的に言えば1週目夏美ルートの一部としては、まったく正解だと思うんですよ。

はくさい:あーなるほど

明石:つまり、これから主人公たちが通るルートとは別のルートの話が挟まれました、そういう形で出てくる分には、全然アリだと思うんですよ。あのまま一周終わって、なんかそんな話もあったなっていい感じに忘れた頃に、今度は別ルートを通るんだったらそれでもありかもしれない。

ところが、そこで聞いた話がそのままメインストーリーとして直後に出てきたら、観客は語られた内容をだいたい覚えてるんで、これこの後そのまんまのこと起こるの?みたいな

はくさい:「無駄じゃないか」と思わせるような余剰があることが、別のルート分岐の可能性を我々に幻視させているってことですね。で、それは結局のところただひとつのストーリーを展開する作品の出来としてはマイナスなんじゃないかという。

明石:そうなんですよ。占い師と爺様っていうのを夏美ルートで消化した上で、陽菜編は別ルートとかだったらアレで全然ありだったと思うんですよ。

はくさい:なるほどなるほど。そっか

明石:つまり、世界観を補強するための与太話としてはああいう情報の出し方もありだったんじゃないかなとは思えるんですね。

明石:『君の名は。』でも不思議現象が起こるじゃないですか。で、あれはどうやって説明されていたかというと、まあ説明もへったくれもないんですよね。

はくさい:そうですよね。

明石:つまり視聴者が求めているのは設定の説明そのものではないということですよね。なので世界の仕組みはこうなっているんだといった話をそのまま出されても、それはちょっと腑に落ちないよ、っていう。

はくさい:うーん確かに。

明石:「君の名は」中盤の、ある種のクリフハンガー的な展開なんかはメチャクチャ上手かったじゃないですか。一方で、ストーリーテリングの妙味というのは天気の子では全体的にちょっと足りなかったと思うんですよね。つまり、陽菜が消えてしまう、みたいなところに普通だったら驚きの展開みたいなものを入れてきそうじゃないですか。あえてそれをしなかったのはまあそれはそれでいいところもあったのかもしれないけれど、期待とか予感とか、驚きとか意外性とか、そういうもので観客を魅了する要素は弱かったなあと思います。

『君の名は。』とのセリフの比較

明石:じゃあセリフの話をしましょうか。

はくさい:明石さんは『君の名は。』の台詞回しに違和感を感じている、という部分ですね。僕もそこは詳しく聞きたかったです。

明石:『君の名は。』のセリフはすごい違和感があるんですよね。不自然に感じるというか。ストンと落ちないものがあるというか。例えば、入れ替わってる〜〜!?のところとかですけど、

三葉「私、夢の中であの男の子と、

瀧「俺は、夢の中であの女と、

三葉、瀧「入れ替わってる!?」

入れ替わってる?のところはまあいいとしてそれに繋げるために前にくっついてるセリフ、この辺のセリフの無理やり言わせてる感が強いんですよ

はくさい:そこは確かにそうですね。うんうん。

明石:全体的にある単語を言わせたいがために無理やりつじつま合わせした的に聞こえるセリフが結構あるんですよ。一番最後の君の名前は、っていうセリフ自体がすごい違和感があると僕なんかは思うんですよ。だって君の名前はってあの場面でいう?っていう。それ君の名はっていうタイトル回収のために言わせたんじゃないのっていう。

はくさい:あーそっか。あれは瀧くんの記憶が消えかかってるときの「君の名前は、誰だ?」って台詞に対応していて……それでラストでもそのときの記憶がかすかに残っていたからそういう言葉が出力された、ぐらいに僕は納得してるんですけど、でもまあ、自然なコミュニケーションとしては違和感があるっていうのはわかります。それに比べると、帆高が思うがままに行動していた『天気の子』っていうのは確かにそういう違和感はなかったと思います。

はくさい:『君の名は。』は、「こういう展開にしたい」という設計図が先にあって、それを実現するために台詞を落とし込んでいった結果として、自然とは言いにくいやりとりになっているのかもしれないですね。

明石:そうか作り方の問題なのかもしれないですね。つまりキャラに合わせて一直線みたいな形で作ったか、キャラ以外のものに合わせて動かしたかという違いなのかもしれませんね。『君の名は。』はキャラ以外の事情に合わせて人物たちを動かしたというふうに感じられる部分が大きいんですよね。

はくさい:そうですね。ここでこういう展開にしたいからそうするにはこのキャラにはこういうセリフを言ってもらわなきゃ、みたいに作った部分はありそうかなと。

明石:その辺が『君の名は。』のセリフに対する違和感ですかね。一方で『天気の子』はというと、とても自然に感じられた部分が大きかったんですよね。終盤のセリフ全般だとか、普通あまり使わなそうな物言いはしつつも、それでもその場その場で出てくる言葉としてとてもストレートなものに感じられた印象ですね。ラストの「僕たちは、大丈夫だ」なんて、あの瞬間、陽菜と向き合った帆高のありのままの心情の表現として、あの単語のチョイスができるのはすごいなあとむしろ思うくらいなんですよ。セリフは本当に上手くなったなと思います。

はくさい:展開にしろ、台詞回しにしろ、『天気の子』の方が作為的な部分が目立ちにくくなっていて、その分キャラクターが自然に活き活きと描かれているというのは言えそうですね。


「怒られるものをつくろう」の意味するところ

はくさい:明石さんは、『天気の子』が公開された後少しして、ネットの反応などを読んでから観に行くことにしたんでしたよね。

明石:じゃあその辺り、最初に見に行った経緯と感想を合わせて話ましょうか。

明石:まず最初に、『天気の子』が公開されてから少しして、作品の評判が流れてきたわけですね。そしたら、セカイ系がリバイバルしたとか、俺たちの新海誠が帰ってきた!!とか、『君の名は。』でおとなしくしてたのが本性をむき出しにしてきたとか、そういう言われ方をしてたんですよ。

はくさい:そういうツイートを見てから行ったんですね。

明石:『君の名は。』の最後では、二人は会えるのか?会えないのか?なんかいい雰囲気だしこのまま終わりそうだけど大丈夫?というふうに、見ていて心底肝が冷えたわけですが、新海誠監督はもしかして、二人が結ばれないまま終わるようなエンドへの欲求があったのかな?というふうにそこで思ったわけです。

そして『天気の子』では特にエンディングについて、さっき挙げたような反応がされているとなると、これは何か大変なことが起こったらしいと。つまり例えば、陽菜は結局戻ってくることないとか、そういう結末なのかなと、そんなふうに思って覚悟を決めていたんですよ。

明石:ところが、実際に見に行ってみると、まず例のラブホのシーンで陽菜は何も言わずに消えてしまうじゃないですか。このタイミングで消えるってことはもしや???と。つまり、展開を逆算して考えたら、これは絶対戻ってくるパターンじゃねぇかと。

はくさい:はいはいなるほど

明石:それでもまだ油断はできないぞと警戒したまま見ていたのですが、それでも、帆高が走るあたりから、いやこれは絶対いけるでしょ、これ絶対いけるでしょって

はくさい:(笑)

明石:結局陽菜は無事帰ってくるわけです。じゃああれだけ騒がれていたのはなんなんだと思っていたら、東京は水に沈みましたと来たわけですが、最初に思ったのは「これだけ?」なんですよ。いやほんとこれだけ?なのっていう。

はくさい:全然違う方向への期待というか覚悟をしていたのに、言うほどの結末じゃないよなと。

明石:そうなんですよ。なんというかまあ一杯食わされたわけです。いい方になんですが。

はくさい:(笑)

明石:何かものすごく悲壮な結末が待ち受けているんだと思って見に行ったら、たかだか東京沈んだだけじゃんかっていう。これでTwitterとかでああいった反応が大量に流れてくるというのは、正直全然よく分からないんですよね。

はくさい:監督のインタビューに、今作は「より怒られるものを作ろうと思った」といった話がありましたが...

明石:あれも僕まったくピンとこなかったんですよ。いやこれ真っ当なエンタメじゃん?っていう。

はくさい:リチャードさんもおっしゃってましたね。

はくさい:結構ああいうある種独りよがりというか二人よがりというか、俺らは周りのこと気にしないぜみたいな結末って多分

明石:そこなのか。つまり監督の独りよがりとか、キャラクターの二人よがりとか、それが受け入れられにくかった人もいる、みたいなそういう話なんですかね。

はくさい:うーん、受け入れられなかった人が実際に多かったかどうかっていうのは僕もちょっと分からないんですけど……ただ、僕の中であの「怒られるものをつくろう」っていうのはすごく腑に落ちた話でして、それは結末のテイストというよりも、前作『君の名は。』が「国民的ヒット作である」ということが重要だと思うんですよね。

はくさい:『君の名は。』の大ヒットっていうのは、やっぱり取り合わせがよかったというか、人は最初に見たループものを親だと思う習性があるみたいな言葉があるじゃないですか。

明石:はいはい(笑)

はくさい:ループものじゃないにしろ「時間跳躍モノ」っていうのも近い性質はあると思っていて、若い頃ってボーイミーツガールとかのエモさを、SF的な時間跳躍とかのギミックでより尊いものだったり、特別なものとして描くような作品に弱いと思っていて、細田版の『時をかける少女』とかもそうじゃないですか

明石:あーはいはい。

はくさい:だから、10年くらい前に10代だった子とかがああいうの(「時かけ」など)で受けた衝撃っていうのがより大きな規模で繰り返されてるのが『君の名は。』だったんじゃないかと思っていて。

細田守はそのあと、世間の要請に沿ってというか、よりファミリーで楽しめるものを作るようなフィルモグラフィになってるじゃないですか。まあ、それが最近の作品になるにつれ、ちょっと歪な形で作家性が現れてきてよく批判を受けているわけですけど。でもいわゆる「ポストジブリ」と言われるに相応しいような作品を作ろうとし続けてはいるんですよね。

けれど逆に、多くの人に観てもらえる作品をビッグバジェットで作れるようになった、その上で自分(新海誠)の決定権も前作より大幅に強くなったとなったとき、親も子供もみんな笑顔になれる方向じゃなくて、「俺が描きたいもの、見せたいものはジブリとは違うんや! これが届く奴に届けばええんや!!」っていう方向にいったのが『天気の子』だと思うんですよ。

はくさい:この前ツイッターでみたのが、帆高が劇中で、法を犯した回数をカウントした人がいて、確か25回とからしいんですよ。

でも、当たり前というか、警察に捕まっても逃げ出すし、線路の上走るし。つまり反社会的な行動に対して、賛美……じゃないですけど、全く否定的じゃない描き方が成されているんですよね。

明石:ヒーロー的にですかね(笑)

はくさい:そのまま突っ走れ、みたいに描いた作品ではあるわけじゃないですか。それってやっぱり細田守が『時かけ』の後に作った『サマーウォーズ』や『おおかみこどもの雨と雪』といった作品とは創作への欲望がもう間違いなくズレているっていう。

明石:そういうことか!!(笑)

はくさい:そういう意味で、ポスト宮崎駿とか、そういう方向を世間が期待してる中でこれを出力したっていうのがすごいと思ったし

明石:あーそういうことか

はくさい:「怒られるものを作った」っていうのはそうだよなって納得したんですよ。

明石:なるほど見えてきました。

はくさい:で、逆にいうとそういう結末というか、反社会的な行為すら厭わないというか

明石:色々踏み抜いてますね

はくさい:そういうアナーキズム?みたいなのってリチャードさんとかが好んで見てるような洋画とかだと割と多いんだと思うんですよ。そういうのもあってリチャードさんや明石さんは……

明石:っていうか、「普通じゃん」って

はくさい:だから、特異な選択なんかは特にしていない、よく出来たエンタメとして受け取れたのかなと。

明石:わかりましたわかりました。普通にファミリー向けとして作るようなものから比べれば随分と怒られるような要素が多いなと

はくさい:これまで「親子で楽しんでね」っていう作品がつくられてた夏休み興行アニメとしては随分とアウトローなものを作っていると。だから世間はこう期待してるだろっていうものから外れて、こっちに行くのかよっていう。

明石:なるほど。わかりました。

はくさい:なので反社会的な要素だったり、世間の常識からは外れたところにある選択を行うような作品を、日頃からエンタメとして普通に摂取してる人からしたら『天気の子』もそういった作品として、革新性は感じないものの、純粋に面白いエンタメとして受け入れられたってことかなと(笑)

明石:そういうことか。わかりましたなるほど(笑)

はくさい:やっぱりそこなんですね(笑)たぶんそういうことだとは思ってたんですけど。僕も犯罪映画なんかも好きですけど、どちらかといえば国内のボーイミーツガール文脈の作品とかを摂取してる人間なので、いやこの国民的大ヒット作家の次回作という局面でこれをつくるのは前例がないだろ、すごいぞこれはと。

明石:目から鱗ですね。

はくさい:まさかこれが目から鱗だったとは(笑)

明石:全然ピンときてなかったんですよあのインタビュー。

はくさい:そこまで怒られる要素あるか?と。

明石:メッチャ真っ当に作ってるじゃねーかと。

はくさい:真っ当なエンタメじゃんと。そっかそっか。

明石:僕も今になって理解しました。こんなものが広く万人向けのファミリー映画なわけねぇって

はくさい:さっきの僕の話で(笑)

明石:比較対象が間違ってたっていう。

はくさい:だってねぇ。ラブホ泊まるし。家族でみんなでサマーウォーズ見ようみたいなテンションで見る映画ではないですよ。

明石:要するにサマーウォーズと比べての話なんですよね。

はくさい:パンフレットとか読むと、新海監督もきっと意識はしてたし、その上で同じ方向には行かねぇ!という明確な意志で『天気の子』はああなったんだと思います。それで、『君の名は。』以降の新海誠監督の、時代の空気を読む力っていうのは抜群にすごいなと。

明石:ええ、ええ

はくさい:っていうのは天候とかが、一昔前と比べて変な感じだっていうのが着想の一つだったっていうのはありますし、あと、『天気の子』が大人や体制に対しての反抗に舵を切ったっていうのは、僕の想像でしかないんですけど、子供の大人への不信感とかって、SNSの普及とかもあって、前よりもずっと強いものになってるのかなって印象があって。

はくさい:新海監督って常に自分が見たいものを作ってて、それで、自分が今少年だったら見たいものは何かっていう気分で作ってるって

明石:自分が最初のお客だっていってましたね。

はくさい:その結果として、今の子供達の大人とか、今のこの世界の有り様への不信感みたいなのを感じとって、ああいう展開にしたのかなと僕は思っていて。

明石:そういえば言い忘れてましたけど、これは言っとかなきゃなと思ったのは、新海誠監督は中学生マインドを忘れることなく作品を作っているっていう話ですね。例えば恋愛観なんかまさになんですけど。

一番最初に出会いを果たす下り、ビッグマックじゃないですか。しかも陽菜が声をかけてきた理由っていうのが、なんだか気になったとかその程度の理由なんですね。なんだそれはと。なんだそれはなんですけど、あれは完全に正解だと思うのは、あんなよくわからない理由で美少女に一方的に話しかけられたら嬉しいに決まってるよなあそりゃっていう。

はくさい:たしかにそうですね(笑)そういうことを常に妄想してたんだろうなっていう。

明石:そういった感覚を忘れることなく作品を作り続けられるっていうのはすごいことだと思いますね。

まとめ

はくさい:そろそろまとめに入りますか。

明石:全体的に言えば、基本的に進化してると思うんですよ。あまり言いませんでしたが、空の表現や雨の表現なんかは単純にアップグレードされているなあと。

はくさい:明石さんは『君の名は。』よりずっと進化してると。それに好きだしと。欠点とかは今回に関しての新しい欠点は色々とありつつもやっぱり『天気の子』の方がよかったと。

明石:今回話して思ったのはやっぱり、ストーリーの構造上の魅力は『君の名は。』の方がよかったなっていったところですね。一方でやはりキャラの魅力に大きく惹きつけられたのは『天気の子』の方だったかなと。

はくさい:僕は『天気の子』を観て、テーマとかを含めた、大ヒットを経た新海誠のワガママぶりに勇気付けられた部分はすごく大きいんですよ。その上で、とあるキャラクターのセリフで、「今の子供達はかわいそうよ」みたいなのが出てくるんですけど、でもそういう昔と比べてどうだとかじゃなくて、今の子供たちには子供達なりの幸福な瞬間はあるんだっていう描き方は優しいなっていうふうに思ったりとか、本当に素敵な場面が多い映画で。最初にも話しましたけど、もう1回見たらきっともう『君の名は。』より『天気の子』の方が好きと断言できるだろうなと。そういう確信は今回明石さんと話してさらに強くなりましたね。次回作も楽しみです。

(おわり)

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