マッドマックス神話体系、我が父マックス、我が神ロカタンスキー
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マッドマックス神話体系、我が父マックス、我が神ロカタンスキー

很庸太郎

久々にマッドマックス2を見ようかと思い立ち、同時に色々と資料を漁る。

高橋ヨシキ師父の話を聞く。師父は仰った。「マックスは神である。」
天啓をこの歳にして得る。

なるほど。そのときハッと全てがわかったのだ。そうか私がこんなにもマックスが好きなのは彼が神であったからなのかと。

(念の為。実際には高橋ヨシキ先生はそんなことを言っていない。先生はただマックスの世界が神話的であると言っただけである。ではなぜこのような馬鹿げた演繹が起こったのかというと、我が青春時代における絶対存在マックスやインターセプターと「神」という大層な言葉が非常に親和性を持っていたためである。これを専門用語で論理の破綻とか思考の飛躍、認知バイアスとか言ったりする。[嘘])

しかし私にとって相も変わらずマックスは神的存在に近い。

アポカリプスとは何か?
往々にして荒廃し行く地球や人間というドラマは語られるが、そんなのはどうだって良い。最初の3分程度の解説で事の足りるものである。この点でもマッドマックス2は私に最高と言わしめるのである。

問題はその後の地球である。我々は常に未来を見据えねばならない。
一体何人の人物が生き残ったのであろうか?どこの国が機能していてどこの国がしていないのか?果たして日本は沈没したのか?などが重要である。

そして最も重要なことは何か?情報と倫理の遮断である。たとえ情報が僅かに残っていても、プレアポカリプスの倫理と情報はポストアポカリプスの強者によって塗り替えられてゆく。それは語り継がれ真理となり得るのだ。無論、それらはプレの人間からすれば荒唐無稽なものである可能性が高い。(と言うのは情報を保存しようとしていたであろうアメリカ、ソ連と言った強国は真っ先に核の炎に包まれている蓋然性が高いためである。あらたな強者にとって昔の強者など邪魔なだけである。)
良い例を紹介しよう。たとえプレアポカリプスでは蛇鶴八拳が最強だったとしても、ジャッキーチェンが生き残らなければ、ポストアポカリプスにその価値は残らない。どこかの青年が北○神拳とかなんとか言って、弱者を打ち倒せば伝統ある蛇鶴八拳など忘れ去られてしまう。そしてその強き青年は傲慢にもこう宣う。「北○神拳こそ伝統に基づく最強である。」嘘つけ。
それではマックスとは何者なのか?
彼はこの荒廃しきった地球をさすらうストレンジャーである。この人口の少ない時代におけるV8とスーパーチャージャーという力を持つ価値創設が可能な強者である。
万人の万人に対する闘争の時代に社会契約と子作りに励まず、我が道を行くマックス。
マックスは確実にこの無数のファニーなキャラクターの中で飛び抜けて独特であり孤高であるのだ。そしてその勇姿は私も含めて多くの人物に感銘を与え、(その代表がブーメラン少年である。)神格化してゆくのであろう。

だが、子作りをしないと言うのは意外と問題がある。情報の遮断による倫理と価値の創設に関わりにくくなるからだ。
マックスは玄人童貞である可能性が非常に高い。もはや営みに興味がないようである。子孫が存在しないと言うのは神格化に向けて非常にハードルが高くなる。なぜか?彼の格好良さを語り継ぐ人間が少なくなってしまう。下手をすると悪役に仕立て上げられてしまう可能性すらある。
ちょっと待て。冷静になれ。彼は子作り連中から極端に嫌われていやしないか?
彼はクズだ!なんとか集まって暮らそう(社会契約)としている奴等の努力をぶち壊す悪人ではないか?(デスロード参照)イモータンジョーをしてなんとか生き延びようとしている奴らの努力を無下にするクソではないか!
ここで或る仮説が立てられる。マッドマックスとは古代におけるタブーではないか?生き延びる倫理、生き延びる者の倫理にとってマッドマックスとは不可侵の心理ではないか?
なるほど、そこいらの古文書、寓話などにマックスという人物は出てこない。
そうだとしたらマックスの存在を暴いたジョージミラーとは誰か?彼はオーストラリアで古文書を見つけた映画監督か、もしくは吟遊詩人ではないか?ブーメラン少年はホメロスではないか?
ここに悪魔マックス・ロカタンスキーを知った私は過去と未来における我が悪魔崇拝主義的言動と行動をマックスによって裏付け、ここにマッドマックスを聖典とし、マックス・ロカタンスキーを神と崇め讃えよう。
「V8,V8,V8,V8,V8,V8,V8,V8,V8!マッド、マッド、マッド、マッド!」


評価は、それらがいかにわれらにとって重大な規範力を持っていようとも、なおじつは 口実としての評価でありうるのである。我らの如き生物が自己を保存するために必要な、愚直でありうるのである。(ニーチェ)


この作品はフィクションであるから、下手に鵜呑みにしないように。
また、「我が父マックス」とは、私がマックスが日本に来たときにできた隠し子であるという設定だからだ。

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很庸太郎
学部一年。映画、落語、アニメーション、SF、漫画、詩、ロック、アニソン、アメリカンコミック、児童文学などを好む。好きな監督は深作欣二。作家はフィリップKディック。ミュージシャンは新居昭乃。落語家は八代三笑亭可楽。アクターはマイケルファスベンダー、中原麻衣、成田三樹夫。