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「パソコンでものを考える」ことでしか得られないもの

現代人ならば、「文字を書く」行為はほぼパソコンかスマホでやると思うのだが(手書きの日記や手紙が趣味、という人も含む)、「ものを考える」ツールはどうだろうか。パソコン派だろうか、紙派だろうか。ものを考える際のツールは紙だという人もそれなりにいるのではないだろうか。

僕も紙派と言いたいところなのだが、そうでもないな、と最近冷静に思う。「図を使ってものを考える」などもやることはやるのだが、頻度としてはかなり少ない。実際は、パソコンを使ってものを考える頻度が圧倒的に高く、実際のところはパソコン派なんだろうな、と思っている。

note記事だってもちろん本文は完全にパソコンで執筆しているのだが、下書きもパソコンでやっている。たまに思いついたように手書きで構成を考えることもあるのだが、あまり効率が良くないため、ほぼないと言っていいだろう。

最近は「パソコンで考える」ためのツールも充実してきた感がある。「書く」のではなく「発想する」「考える」ためのデジタルアプリがどんどん普及しているのだ。

僕がよく使ってきたのは「マインドマップ」ツールである。これも本来は紙でやるものだが、パソコンやスマホでもかなり高機能なものがある。

マインドマップの例
https://campus.doda.jp/career/self-analysis/000336.html

最近はマインドマップから「アウトライナー」に切り替えつつある。アウトライナーというのは、マインドマップに少し似ているのだが、「書類」と「マインドマップ」のあいだのような存在で、インデントを使って概念を格納したり展開したりできるツールのことだ。

ゲームディレクターの桜井政博が「アウトライナーとはなんぞや?」というのを非常にわかりやすく説明してくれているので、知りたい人はこれを見てみるといいかもしれない。

そもそも、パソコンの革命は「文字を直せる」ことだろう。これがパソコン(ワープロ)登場以前と以後で革命的に変わったところだと思う。僕が文章を書くようになったのも、この概念に触れたから、というのが一番大きい気がしている。

原体験は小学生の頃で、書いた文章を消さずに上からどんどん書き換えていけるというのはなんと素晴らしいのか、と感動した。学校で作文などはやらされていたが、文章というのは基本的に後戻りせずに書き進めていくものだと思っていたのだ。しかし、そんなことはなかった。

むしろ、順番通りに書く必要さえない。僕も、noteなどで記事を書くときは、「とりあえず書けることを書く」ことを意識している。文字量は1000文字以上、というルールを課しているのだが、たとえ最初はその文字量を満たしていなかったとしても、やっていくうちに自然とその分量を満たせるようになる。「手直すこと」ももはや執筆の一部、という感じである。

実際の執筆のみならず、アイデアを生み出すことさえ、パソコンのほうがいまの自分にとっては適しているな、と感じる。そういうツールが充実しているから、というのも大きい。なんとなくのふわっとした発想のまま、考えながら出力できる点も非常に魅力的である。

具体的にアウトライナーというものの存在を知ったのは、「読書猿」というブロガーが著書(対談集)で言及していたからだ。まあ、最初はそういうものがあるのか、ふーん、という程度だったのだけれど、実際に使い始めると本当に便利だな、と。

workflowyというソフトを使っているのだけれど、いまでは有料版に課金もし、これなしではいられないほどである。

もともと自分は思考ツールとしてはマインドマップを愛用していて、freemindとかXmindなどを使っていた。ブラウザ用としてmindmeisterを使っていた時期もある。

こういったマインドマップツールは悪くはないのだが、横にどんどん広がっていってしまうので、あんまりレイアウト的に見やすいとはいえない。まあ、アウトライナーのほうが文章を書くという観点では適しているのかな、と。「書類とマインドマップの間の存在」なので、本文執筆ツールとしても使えるし。

マインドマップやアウトライナーを使いこなせるようになると、いろいろとプラスの影響がある。たとえば、自分の思考そのものに影響を与える。具体的には、「階層でものを考えられる」ようになる。人間の認知機能というのは限界があって、一度にだいたい7ぐらいのものしか認識できない。理想は、3〜5ぐらいだろう。

しかし、物事を3〜5ぐらいに階層で分類し続けていくと、どんなに多くのものでも無理なく制御できる。7以上の認識が必要な仕事の進め方をしていると、必ず無理がくる。

このあたりの考え方は奥が深いので、また別の機会に。

最近はこういう本も読んだ。こういう本を読んで実践しはじめると、いよいよ「沼」という感じである。

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