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きょうは特に書くことがないことの意図

ほぼ毎日更新しているこのブログだけれど、基本的には毎日ネタ切れせずに更新しているのだが、今日はひさびさに書くことがない。「書くことがない」というのは、何も書けないというよりは、特にいま書く必要性のあることが思い浮かばないという感じ。「ピンとこない」という感覚がもっとも近い。
 
以前書いたようなこととか、ふだんよく考えているようなことはいくらでも書ける。だいたいいつも3つか4つぐらい書きたいトピックが頭の中にあって、その中で「いま書こう」と思えるものを書いている。僕にとっては、「書く」という作業は「思考する」という作業に近いので、「書きたいこと」というのは、じつは「いま自分が考えたいこと」だったりする。
 
当然、着地点は決まっていないので、書きながら考えることになる。それが楽しい。いまは特に考えたいことがない、ということか。

それでも、全く文章が書けないわけではない。現に、いま「書くことがない」というネタで文章を書いている。これは自分の中では禁じ手にしていたのだが、たまにならいいかと思って解禁することにした。「書くことがない」ということをネタにすればいくらでも書けてしまうので、生産性がないのだ。まあ、もとより生産性なんて全く度外視しているコンテンツなので、いいかな。
 
だいたい僕がインターネットで活動しはじめて10年になる。2009年ぐらいからツイッターもやりはじめたし、作品を投稿するようになったので、それぐらいだ。当時は、「ブロガー」という存在が注目を浴びていて、いろんなブログを書く人がいた。ただ、いまでも更新している人というのはほとんどいなくなってしまった。面白いと思うブログがあっても、数年前に更新が途絶えていたりする。
 
いまは情報発信の中心が完全にYouTubeに移行してしまった感がある。はじめはYouTuberなんてくだらないと思っていたけれど、探してみると自分にあったチャンネルというのは見つかるもので、気に入ったチャンネルをほぼ毎日見ている。
 
ただ面白いのが、せっかくYouTubeになって動画を見ているのに、自分で面白いと思ってみているものが、けっきょく、一人の人間がダラダラと考えていることを話している動画ばかりだ、ということだ。「えらいてんちょう」とか「スーツ」というYouTuberがいるのだが、基本的に無編集で、自分の顔だけを写して適当にしゃべりたいことをしゃべっている。どうもそういう動画が好きらしい。結局のところ、これはブログの延長線にあるコンテンツなんだと思うが。

メディアというのは常に進化しているけれど、「思考」だけは基本的に言語に支配されているな、と思う。本でもブログでも一人語りYouTubeでも、基本的には言語のみを用いているコンテンツだ。そういうのが好きなんだろうな。きっとこれを読んでいるあなたも、そういうのが好きなんだろう。いつもありがとう。(執筆時間11分45秒)

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