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「言い方の問題」の問題

「ものの言い方」というのは難しい。世の中にはタブーとされることがたくさんあって、自由奔放に発言していると嫌われてしまう。政治家や有名人は言わなくてもいい余計なことを言ってマスコミやSNSで叩かれ、炎上したりもする。言わなくてもいいことはなるべく言わないほうがいい。
 
これは日本だけの特徴ではなく、海外でも当然ある。むしろ海外のほうが「タブー」は多いかもしれない。たとえば、差別的な言動は国際社会では厳禁だ。肌の色はもちろんこと、文化・風習もけなしてはならない。そういう発言をすると、もちろんトラブルになるし、トラブルにならなくても「そういう発言をする人」として扱われることになるだろう。
 
会社でも、よく社員どうしが、上司や同僚の言動について話していることがある。「あの人、もうちょっと言い方ってものがあるよね」と。
 
僕個人の意見でいえば、「ものの言い方」なんてどうでもいい、くだらない、と思う。結局のところ、それは「言葉として発言したかどうか」の違いであって、その人が思っていることが言葉になっているにすぎないからだ。むしろ、直接的に相手の考えていることがわかるぶん、ありがたいともいえる。差別的な発言をする人は、ああ普段からそうやって人を見てるんだな、と観察することができる。
 
京都の人や、昔の人みたいに、直接的に言いたいことを言わないほうがよっぽど厄介だ。迂遠なものの言い方をするので、もう一歩「踏み込む」必要がある。自由奔放に発言する人は、考えていることがわかりやすいので接しやすい、と思う。

僕個人のスタンスとしては、相手がどういう発言をしようが、「言い方」は気にしないようにしている。どういう発言をされても、相手が考えていることとしていったん受け入れる。そのほうが自分にとって有益だからだ。
 
一方で、自分が発言するときには、言い方に気をつける。なぜなら、自分の発言によって相手の感情を左右することもあることが観測されているからだ。「こういうことを言ったら相手はこういう気持ちになるんだな」ということは、試して、反応を見ながら学んでいけばいい。ただ、重要なのは、自分がそういうことを言われても気分を変えないことが大事だ。
 
結局のところ、言葉なんてのはただの音や文字にすぎない。言葉を追いかけるよりは、行動を追いかけたほうが事実を追いやすい。営業に行って、「素晴らしい製品ですね」とか「すばらしい企画ですね」という美辞麗句に言葉に踊らされてはいけない。それを「買うかどうか」を見るほうが確実性が高い。逆に、出先でボロクソに言われたとしても、それは「本気で購入しようとしての苦言」かもしれない。表面的なものではなく、事実を追いかけたほうが、より真実に近づけるようになるだろう。

他人の「言い方」を気にして感情が乱れる人は、自分の感情ぐらいコントロールするように訓練したほうがいいと思う。表面的な言葉などに騙されてはいけない。(執筆時間13分45秒)

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