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洋楽の歌詞がカッコいいなんて誰が言った?

「洋楽」という括りは、範囲が広すぎるのであまり好きではないのだが、洋楽が好きだ。

もしかすると、「洋楽」という一言である程度括れてしまうのは、日本の音楽が逆にけっこう特殊だから、なのかもしれない。
 
あまり「洋楽」というのは意識していなかったが、はじめて自分の金で買ったCDはアメリカのCDだった。細かい字で歌詞が書かれた歌詞カードがあって、和訳のライナーノーツみたいなのも入っていた。

はじめて買ったCDはアメリカの西海岸のパンクバンドだったのだが、内容が複雑というか、政治的な内容だったのでピンとこなかった。

疾走感があって、音がカッコ良かったので、それが気に入ったのを覚えている。さっそくMDに録音して、通学のときなんかによく聞いていた。

アメリカの音楽って、音の響きとか、ノリを重視してるものが多いな、と思う。歌詞は一応あるけれど、かなり適当な歌詞も多い。

僕はカーリー・レイ・ジェプセンの大ファンだが、歌詞はかなりひどい。大ヒットした”Call me maybe”なんて、「電話してね」ってひたすら言ってるだけだし。

そもそも、構成も、コード進行もシンプルなものが多い。グルーヴ感というか、「合わせた感じ」をすごく重視している気がする。だから、カラオケでアメリカの曲を入れると、シンプルすぎて拍子抜けしてしまうことがある。

というか、カラオケの音源では原曲の良さがまるで再現できてなくて、こんな曲だったっけ? となることが多い。

例えばジャスティン・ビーバーみたいな音楽だって、生音がほとんど入っていないクラブみたいなサウンドだけれど、カラオケでは再現できていない。

けっこう細かいディテイルにこだわって作られているんだな、ということがわかる。
 
一方で、日本の音楽はけっこう歌詞を重視しているし、カラオケでもそれなりに再現できている気がする。コード進行も、それなりに複雑だけれど、セオリーがあって、ある種の様式美があるような。

ある意味、カラオケで再現される、カラオケで歌われることを視野にいれて制作されているような気がする。だから、音楽とは直接関係のない音が入ってくることはないし、それでいて飽きさせない。

カラオケで知らない人が歌ってるのを聞いても、歌詞を見ていても楽しめるような内容になっているのかな、という感じがする。

最近でこそ日本の音楽も聴くようになってきたけれど、もともとアメリカやイギリスの音楽が好きだったので、いまでもよく聴く。

でも、やっぱり歌詞というよりは、「サウンドそのもの」に着目しているような気がする。むしろ、カラオケでは再現できないというところに美学を感じるというか。
 
日本の音楽は、日本語の全くわからない外国人が聞いて、どの程度楽しめるんでしょうかね? 

構成がそれなりに込み入ってるから、飽きはしないのかもしれないけれど。

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