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空白を、うめなければ

僕は初対面の人と話すと口数が多くなる。意識しているわけではないのだが、ついついしゃべりすぎてしまうようだ。だから、僕が会った人で、僕のことをよくしゃべる人だなという感想を抱くことがあるようなのだけれど、実際のところ、僕はだんだんしゃべらなくなる。初対面が一番しゃべる。慣れ親しんだ相手、たとえば家族といる場合、わりと沈黙している。
 
「沈黙がこわい」というほどではないが、せっかく一緒にいるのだから、少しでも楽しい会話にしなければ、という心理がはたらくのかもしれない。まあ、それは慣れた相手に対してでもしなければならないことなのだが。むしろ、複数人会話をしていて、場が盛り上がっていたりすると、あえて自分がしゃべる必要もなく場が盛り上がっているので、何も話さなかったりする。そういうときはちょっとだけ気が楽だ。

隙間があると埋めたくなる。空白がこわい。音楽をつくっていても、そういうときがある。音楽は、音を足したり、引いたりしてつくる。「すごい曲をつくろう」と思うと、音をどんどん足していくことになる。空白は怖いので、ガンガン埋めていく。やりすぎると、結果的に、のっぺりとした、薄味の音になってしまう。
 
だから、どこかで引き算をしなければならない。不要な音を消していく。必然性のない音を、あるべき場所に移動させる。僕の場合、特定のアートワークに曲をつけることが多いので、そのアートワークがもっとも際立つように音の配置を工夫する。むしろ空白こそが重要で、どのように空白を演出するか、ということが腕の見せ所かもしれない。
 
あるべきものとあるべきもののあいだにぽっかりとあいた空白。どんなものであれ、それは「埋めなければ」と誰しもが思うだろう。道のまんなかに穴があいていたら危ない。履歴書の来歴に、「何もしていない」期間があると不安になる。ひとは誰しも空白をおそれる。連続性のない、途切れているものをこがわる。
 
うまい落語家は、「間」の取り方がうまい。声を低くしたり、急に黙ったりして、人々の注意を喚起する。最近、ベテランのゲーム実況を見ていても、似たような技術があることを発見した。あまりにも衝撃的なことがあったときに、沈黙して、笑いをとる。リアクションをとらないことが、逆にギャグになっている。高度な技術だ。

空白とは、そこに「ない」のではなく、空白が、「ある」と考える。意図的にそれを配置する。高級なレストランで出てくる、しろいおおきなお皿に上品に盛り付けられた料理のように。
 
空白を計算する。空白を演出する。空白をおそれない。むしろ使いこなす。(執筆時間11分41秒)

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