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直感とセンスについて

最近、思考の出発点は常に直感なのだなということがわかってきた。

どんなにロジカルな人でも、最初は直感からスタートする。論理(ロジック)からはスタートしない。ロジックとは要するに、直感が正しいかどうかを検証する仕組みであり、ロジックだけで新しい結論を導くことはほとんどないのではないかと思う。
 
例えば、人の好き嫌いについて。人が人を判断する時、まず、最初の一目で好きか嫌いかを判断してるように思う。そしてその人が好きならばその好きな理由を、嫌いならば嫌いな理由を後から後付けで考えてるように思えるのだ。

だから、それを逆手にとって、「出発点の直感と反する論理」を考えてみるのもひとつの手だ。「好きな人の嫌いな理由」、「嫌いの人の好きな理由」、などを考えてみると、別な側面が見えることもあるだろう。

直感がほとんどすべてに近いと最近は考えているのだが、もちろん論理的な思考が無意味と言うわけではない。むしろ、人間の直感と言うのは間違いやすいので、検証するシステムは常に必要だ。
 
科学の発展とは、直感と反する世界を論理の力で切り開いていったといってもいい。直感と現実は全然違う、と言う事を思い知らせてくれるのは論理の力だが、それでも、「出発点」はやはり直感なのだ。
 
学生の時、テストでヤマを張る人がいたと思う。少ない労力で点数をたくさん取るために、ヤマを張って、ここがテストに出そうだからここだけやろう、みたいな勉強していた人たちのことだ。
 
僕はどちらかというと、テスト範囲を網羅的にやりたいタイプだったのであまりそんなことはしなかったのだが、今になって思えば、そうやってヤマを張る人たちのほうが、本質に近いことをやっていたような気がしてきた。
 
というのも、試験問題は人間が作成しているものだから、試験の作成者が優秀な人であればあるほど、ここは押さえておくべきという重要なポイントをテストに盛り込むだろう。また、これは学生が引っかかりやすいという引っ掛け問題を出すかもしれない。

何がポイントか? を把握した上で、「ここは決定的に重要だ」という緩急をつけて学習するというのが、本質のような気がするのだ。
 
将棋の棋士はある場面においてすべての駒の可能性を考えるわけではないらしい。プロならば、大体直感で3手ほどの候補の手が思い浮かぶそうだ。
 
でも、その直感というのは素人の直感とは全く違い、それまでの経験や思考に裏打ちされた直感なので精度が高い。つまり直感ではあるのだが、鍛えられ、研ぎ澄まされた直感なのだ。これを磨いていくのがプロの技と言えるかもしれない。
 
仕事でも、他人の動きを見ていると、少し似たものを感じることがある。すべての仕事に等しく力を注ぐようなやり方は実は効率が悪い。ちゃんと結果に結びつきそうなことをうまく選んで結果に結びつかなそうな事はほどほどにやるというのが大事なのだが、すべてのことに全力であたろうとする人はそれがうまく掴めないようだ。

もちろんどこに対して力を入れればいいかというのはなかなか言語化できない部分なので(なぜそう考えたのか、は言語化できるが、先述の通り、それは後付けの論理である)、ここがセンスというか、結果を出す人と出せない人の境目のような気がしている。

僕の中でセンスと直感は結構似ていて、生まれ持った資質も大きいが、どちらも磨くことができる。しかし磨こうと言う意思がなければ磨くことができないものだ、と思う。網羅的にやろうとする人は、必ずどこかで限界がくる。
 
直感を裏付けするのが論理であり、論理によって直感を検証する。そうやって直感の精度を高めていく。それを端的に表現すると、「センス」になる。単純な計算能力、思考能力ならば10代・20代の方があるかもしれないけれど、人は歳をとっていくと経験を積み重ねるから、直感の精度が上がっていくのではないかと思う。
 
総当たりで計算できるのは本当に若い時だけ。直感を磨き、センスを磨く努力が大事だと思う。

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