見出し画像

反戦を訴えれば戦争はなくなるのか?

コロナだ、オリンピックだと世間では盛り上がっているのですっかり忘れてしまっていたが、気付いたらもう8月になろうとしている。8月は真夏でもあるが、終戦の月でもある。
 
戦争経験世代の祖母はもう90歳を過ぎ、いまは事情があって入院をしている。まだ元気といえば元気なのだけれど、後期高齢者であることに変わりはない。

そのうち、うちの祖母をはじめとして、「戦争を経験した世代」というのがどんどんいなくなっていくのかな、と思う。現在進行形で、ものすごいスピードでいなくなっているのだろう。
 
戦争を経験した世代が必ず言うのは、「戦争は二度としてはならない」ということだ。戦争のときの体験を通じて、その悲惨さを語り、次の世代に戦争をさせないように説く。

それはもちろん大切なことではあると思うのだけれど、それだけではちょっと本質を欠くように思う。というのも、先の戦争は好き好んではじめた戦争だったのか? という視点がなければ、根本的な解決にならないからだ。

戦争が悲惨なのはわかるのだけれど、本当に戦争を避ける方法があったのか? というと、僕は明確な答えを持たない。


 
戦争の問題や、環境問題、経済の問題など、突き詰めて考えていくと、人類の問題は最終的には「エネルギーと食料の問題」に行き着くのかな、と思う。

要するに、どちらも有限の資源であり、それらの資源を巡って戦争が起きる。もちろん、現代の日本は直接的に戦争をしていないが、日本が戦争をしていなくても、戦争をしている国や、内戦状態にある国はある。

そういうところは資源産出国で、まさにその「エネルギー問題」の中心地だったりするわけだが、そういうところで戦争が起きているということは、平和な日本がエネルギー資源を手に入れることで、間接的にその戦争に加担している、という側面があるわけだ。それが見えにくくなっているだけで。
 
結局、「戦争をしてはならない」と発言することは大事だとは思うものの、本当に大事なのは、どうやったらエネルギーや食料を効率よく使うことができるかということと、そもそもそれらを必要とする地球人口をいかに「うまく」抑制していくか、という議論に行き着くのだろうな、と思う。

エネルギーを増やすことは簡単にできないのだから、使う人口を抑えなければならない。もちろん、ただ単に人口抑制するだけでは国力を弱めるだけなので、どうやってそれを行うのかをよく考えなければならない。そしてもちろん、日本だけでなく、全世界でそのような動きをとることが重要なポイントになるだろう。


 
どんな事業でも、はじめるのは簡単だが、畳むのは難しいとされる。それと同じで、人口を増やすことは比較的簡単かもしれないが、人口を抑制するのは簡単ではない。
 
でも、いまの地球の人口が2倍になったとして、果たして地球はもつのか? と思う。世界が戦争でなくなってしまう前に、議論しなければならないだろう。

もちろん、そんな憂鬱なことは、誰も率先してやりたがらないとは思うが。

サポート費用は、小説 エッセイの資料代に充てます。