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美しいひと

街を歩いていたら、周りにいる人たちの全員が美人に見える現象が起きた。

なんだこれ、と思いながら目的地に着いて、しばらく考えてみたところ、全員がマスクをしていたからかな、というシンプルな結論に到達した。

日本は他の国と比較するとマスクをする国民だと思うけれど、このところのマスク率は半端ではない(当たり前だが)。街を歩いているとたまにしていない人もいるけれど、電車ではほぼ100%だ。

最近では、使い捨てのマスクも普通に売っているので、「買えないから持っていない」という言い訳は通用しないだろう。
 
マスクをしていると美人に見える。よく、歯科助手の女性は、マスクをしているので美人に見えると言われる(実際に美人も多いそうだが)。

要するに、情報量が少ないので、脳が勝手に補完しているのだろう。見えない部分は、都合のいいように解釈するわけだ。

同様の理屈で、アニメキャラは基本的に美形だ。もし、「美しくない」キャラを描こうと思えば、たとえばシワとか、ほうれい線を書き足したりして、線を増やす必要がある。

日本のマンガだと、そもそも「鼻」が描かれていないキャラも多い。たとえばキティちゃんみたいなシンプルなキャラクターになると、美人もブスもない。

シンプルで、記号のようになればなるほど、脳内での補完がすごいことになる。女性が化粧をするのも、似たような感じなのかな、と思う。

化粧は、情報を「足す」のではなく、情報を「引く」作業なのかな、という感じがする。肌の質感とか、シミとかを消す作業がメインに見える。

そうやって情報を間引いていって、平板化したものを「美しい」と人は感じるのだろう。

よく美人は「平均的な顔」だというが、それは本当だろうか? 

僕は基本的にこの説は迷信だと思っていて、平均的な顔を美人だと思わないのだが、「情報量が少ない」という点においては真実かもしれない。平均的で、特徴が少なければ少ないほど、受け手が勝手に補完してくれるのだろう。

美人は三日で飽きると言われるが、「情報量が少ない」ことにその要因を求めることもできる。余分な情報がないから、飽きるのも必然だというわけだ。

見た目や性格にノイズの多い人ほど、飽きにくい。もし、人類全員が、超美形のアンドロイドの肉体を持ったとしたら、そんなにつまらない世界もないな、と思う。

もたいまさこという女優がいるが、存在感が半端じゃない。

美人とかそういう括りで表現するつもりはないが、邦画を見ているとよく出てきて、チョイ役でも、かなりの存在感を放っていて、登場しなくなってもなお、映画全体にインパクトを残す。

逆に、邦画でよくチョイ役で出てくるイケメン俳優もいるが、イケメンであるがゆえの「存在感の薄さ」が買われているのだろう。誰がとは言いませんが。
 
そうやって深掘りしていくと、誰が美人だとか、そうでないかとか、本当にどうでもいいことだと思えてきますね。

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