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年収が高い人たちについて

ヒマなとき、YouTubeでダラダラ動画を見ている。といっても、最近は贔屓のチャンネルもすっかり見飽きてしまい、特定のチャンネルを見るのではなく、おすすめに出てくる動画をパラパラとチェックする程度になってしまった。
 
最近見ていて面白いなと感じるのは、すごく俗っぽくはあるのだが、自分がたぶん普通に生きていたら一生関わらないだろうな、というタイプの人たちが出演している動画だ。

「出会えない」人もいるのだが、単純に「関わらない」人たちも多い。平たくいうと、自分とは価値観が全然違う人たちのことだ。
 
僕はまったくお酒が飲めないので、しょっちゅう飲み歩いている知り合いは少ない。その中でも、例えば合コンばかりしているような人とは本当に縁がない。だから、たまに「一流企業に入り、学歴や年収を自慢する合コンが生きがいになっているような人」って本当に実在するのか? と思う。

おそらく地球のどこかにはいるのだろうけれど、自分の生活圏には全くそういう人がいないので、神話かなにかのように思えてくるのだ。

しかし、YouTubeチャンネルを見ていると、それに類する人たちが見れたりするので、「おお、こういう人たちなのか」と感動したりするのである。


 
例えば、年収1000万円以上の人、2000万円や3000万円稼いでいる人というのが動画に出てきて、仕事ぶりやプライベートについて語っていたりする。

起業家で、会社の資産価値があがってそのぐらいの収入をもっている人というのはわりといるとは思うけれど、サラリーマンでそれぐらいの給料をもらっている人になると、どこかバランスの崩れた働き方をしている。なんでそんなにまでして年収1000万円が欲しいのだろう、とシンプルに思う。

年収1000万円というとすごい金持ちのように思えるが、実際のところ手取りにすると月45万ぐらいになるので、そんなにめちゃくちゃ生活レベルが高くできるかというと、そうでもないような気がする。

だから、ある意味1000万円という数字そのものには彼らも重きを置いていなくて、重要視しているのは「それぐらい稼いでいる自分」という希少性に裏打ちされた「ステータス」なのだろう。

お金がたくさんあるから生活に余裕があるとか、そういう尺度ではものを見ていない気がする。
 
そういう年収を得ている人の話を聞くと、得てしてみんなハードワークだな、と思う。睡眠時間が3~4時間しか取れない、と言っている人もザラだ。それを見て思ったのだが、自分はそういう「わかりやすい仕事」はこれまであまりしてこなかったし、望んでこなかったな、と思った。
 
例えば外資系の投資銀行で運用成績がどうとか、不動産会社で営業成績がどうとか言っている仕事って、成果が数字なので、ひと目でわかる。しかし、それは言ってみればすでにスキームが出来上がっている仕事で、いかにそれに沿って数字をもってくるかということが問われると思うので、必然的に他人との競り合いになる。

そういう人たちを指してよく「兵隊」という表現をするが、スキームが出来あがっていて、それに沿ってやれば成果が出るというタイプのものだと、お金で釣るのが一番わかりやすいから、成果報酬型にしたほうが効率がいい。

成果が比べやすいので、当然ながら人よりも成果を上げれば連動して報酬はあがる。しかし、それは他の大多数の「成果の出ていない人たち」を踏み台にしているわけだから、どことなく息苦しさを感じる。

また、成果報酬であれば、成果が出なくなってしまったら、とたんに収入は落ちるわけだから、それは本当に年収が高いと言えるのか? という本質的なことを考えたりもする。


 
自分はわりと、既存の指標では測れない仕事というか、会社としても新しい試みにチャレンジすることが多かったので、指標では簡単に測れない、面白い仕事が多かったのかなと思う。

実は、けっこうそれは打算的に考えていて、「誰も他にやったことがない仕事だったら、多少成果が出なくてもわからないだろう」と思ってそういう分野にチャレンジしていた、というのもある。まあ結果、そういうのばかりやっていたスキルが今に生きているわけだけれど。
 
自分にとって、「お金のことをあまり考えなくてもいい」というのが最高レベルかな、と思う。お金に困って、常にお金のことばかり考える、というのは結構不幸なことなので、できればそういう状態を目指したいものである。

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