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レジ打ちからの解放は幸福につながるか?

最近、セルフレジを設置しているコンビニが増えてきたな、と思う。僕がよく行く近所のコンビニでも時間帯によっては普通のレジカウンターがセルフレジになり、PayPayなどの電子決済がセルフサービスで行えるようになっている。
 
最初は、操作がうまくできるか不安で使う気になれなかったのだが、試しに使ってみて、慣れてくるとこっちのほうが楽でいいな、と感じるようになった。

そもそも、最近はレジ袋の有料化に伴って袋詰めの作業もなくなったし、そもそも店員は商品とスマホの画面をスキャンすることしかしていない。であれば、そもそも店員を介す必要性はほぼないわけで、非常に合理的に感じる。
 
セルフレジになれば、店員の仕事は減るだろう。もちろん品出しや発注、掃除など、やるべきことは山のようにあるのだろうけれど、何かの作業を中断してカウンターに入るという場面が減るので、全体的な作業効率はあがるに違いない。

しかし、そうやって効率を高めることによって、そもそもの人足が必要なくなり、バイトの人員が減らされたりすることはあるかもしれない。


 
雇用的な観点で言えば、レジ打ちとはいえ仕事なのだから、あったほうがいいだろう。もちろん、僕個人の主観でいえば、レジ打ちが楽しいわけがないので、そこから「解放」してあげたいな、ととっさに思ってしまった。

先日ひとりでファストフード店に行った時、店員の数が少なく、カウンターで接客業務をしている店員が明らかにあたふたしていて、なんとも心苦しく感じてしまった。接客には全く余裕がなく、こんなことならタッチパネルで勝手に会計できるほうが早いし心苦しくないんだけど、ということを考えてしまった。

もちろん、接客業務にあたる店員はたとえ忙しくても忙しさを表面に出してはいけない、なんていうことはないものの、セルフレジで事足りるのであれば、そっちを選択したいな、と思ってしまった。

もちろん、その人にとっては「仕事」なので、そこから「解放」してあげたい、なんてのはこっちの勝手な都合であり、そんなことになればただ単にその人が失業してしまうだけ、ということにしかならないのだけれど。
 
オートメーション化によって、失われる仕事はある。しかし、マンパワーを使う仕事はなくなりはしない。よく言われるが、ブルーカラーの仕事は必ず残る。理由は簡単で、機械よりも人間の労働力のほうが汎用性に富み、コストが安いからだ。

僕は物流倉庫で働いていたことがあるが、ああいう現場は驚くほどマンパワーで回っている。もちろん、オートメーション化が進んでいるAmazonの倉庫などはあるにはあるが、あれはAmazonが惜しみなくそういった設備に投資をしているから可能だ、というのが背景としてある。

そして、Amazonであっても、人力が行っている作業はかなり多い。
 
しかし、そういった仕事が残るからといって、それが素晴らしいことかというとそうとは言えない。結局、それが残っている主要因としてコストの問題があるわけで、「機械よりも安いから」といった理由で働いている人たちは、それで幸福になれるのだろうか。

そんなものは「楽しい仕事」であろうはずがない、ということを思う。


 
そういうことを考えると、やはり「高度で創造的な仕事」が一番楽しいのだろう、という結論に到る。もちろん、そういった仕事をしたい人は多いし、逆にそういった仕事をする能力が足りない、という人も多いとは思うのだが、そういう仕事ができるように訓練したり、勉強したり、といったことが欠かせない時代がきていると言えるだろう。
 
前から思っているのだが、「仕事の最大の報酬は、より高度な仕事である」と思う。ただもちろん、それが楽しいと思えるかどうか、それが問題だ。

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