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共通項って必要ですか?

売れているバンドの話で、「売れるための秘訣としては、売れているものと自分との共通項を探すことだ」と言っている話を聞いた。
 
つまり、「これは売れる」とされていることに自分を合わせるのではなく、既に売れているものの要素から、自分の中にあるものを探して、それを前面に出していくということだ。

これなら自分を曲げることなく、確実に市場に訴求していくことができ、「売れる」ことができる。なるほど、売れるバンドと言うのはそういうものの考え方をするのだな、と感心した。
 
ただ、少し違うなと感じるところもある。ミュージシャンのインタビューなどを読むと、「自分らしさ」や、「自分の表現」など、「自分」をすごく大事にする傾向にあると観察される。

今の自分をありのままに表現するのが、音楽家としての基本的な欲求であり、「売れる」ものに「合わせていく」のはあまりよろしくないことだとされているようだ。

もちろん、売れるものをストイックに追求していくというスタイルを公言しているバンドもいることにはいるのだが(最近増えてきた感じもする)。

自分について、少し考えてみる。

僕にはあまり「自分」というものがない。いや、もちろん自我はあるのだが(人によっては、かなり強い自我だと感じるかもしれない)、それを小説や音楽などの作品にめちゃくちゃ投入したいか、自分を表現したいか、というと、その欲求はほとんど全くない。
 
僕の場合はむしろ、「作品」の方が完成形で、前面に出ていて、作品によって自分を変えたりする。作品の奴隷、といえるかもしれない。

極端なことを言うと、女性が主人公の小説を書くときは、女性の思考をトレースして、アタマの中で女性になりきろうとする。「今の自分を出していく」と言うよりは、「作品を通じて自分が変化しようとする」、これが僕の基本的なスタンスなのだと思った。
 
ここが、感情に訴えかけて感情揺さぶるミュージシャンとの最大の違いだろう。売れる人は、ありのままの自分をダイレクトに出して、リスナーとの間の共通項を揺さぶり、相手の心を鷲掴みにする。

しかし自分の場合は、ありのままの自分にはあまり興味がなく、自分が考える「別の自分」を作品を通じて表現し、それを表現することで自分を、そしてリスナー・読者を変えていこうとしている。

その過程で、受け手がそれを面白がってくれたらそれでいい。自分の創作スタイルを言語化すると大体そんな感じだ。
 
そして、自分もどちらかというとそういうアーティストを求めているように思う。自分との共通項がたくさんあるアーティストも悪くは無いのだが、どちらかというと、新しいスタイルや、思考方法、視点を提供してくれるアーティストの方に僕は興味がある。

結論。

「共通項ってそんなに必要ですか?」

面白いことをしている自分と全く違う人生の人がいたら、そういう人の話を聞いてみたいと思わないだろうか。
 
変化しない自分を表現するアーティストもいれば、変化を楽しんでいくアーティストもいるだろう。そういう意味では自分は後者だ。今の自分でいるなんてつまらない、どんどん変化していくから面白い。
 
僕のこの文章読んでいる人はそういう思考の人が多いのでは、と自分は思っている。

このブログで自分との共通項を探して共感したりしていますか? たぶん、そんなに「共感」できる内容ではないと思うのだけれど……。

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