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勝負と運について

実家に帰ったら姪がやってきたので、一緒にトランプで遊んだ。いろんなゲームをやったが、姪はもう小学四年生になろうとしている年齢なので、「大富豪」を覚えてくれて、やっと僕にも勝てる要素が出てきた。これまでは、記憶力を試す「神経衰弱」ばかりやらされて、コテンパンにやられていたのだ。
 
トランプっていろんな遊び方があるけれど、そのどれもが「運」の要素があるように思う。配られたカードをもとに、戦術を組み立てて勝負をする。どの程度「運」の要素を絡めるかは、ゲームの種類によって違う。完全に運なしの実力勝負というゲームはない。ゲームによっては、運の要素しかないゲームもある。

運の要素しかないゲームは、要するに戦術性がない。「ババ抜き」なんかはその代表格だろうか。確かにドキドキするし、心理戦みたいなものもなくはないが、実質的には運の要素しかない。
 
「七並べ」ぐらいになると、多少の戦術性が出てくる。「本当は置けるけど、塞きとめる」といったような。「七並べ」は、パスの回数が決まっているから、自分のパスの残存数と場の状況、相手の状況をみて、駆け引きをするわけだ。

勝てる確率をあげるためには勝負に出る必要があるが、勝負に出て、読みが外れた場合、待っているのは敗北しかない。
 
場の情報がすべて公開されていて、運の要素がないゲーム、たとえば将棋などは、完全に実力勝負だ。勝負に負ければ弱く、勝負に勝てば強い。しかし、現実世界では、運の要素というのは必ずある。

だから、トランプのほうが実は現実世界に近いのではないか、と思った。たとえば「大富豪」などは、もちろん駆け引きや実力が重要なのはいうまでもないが、配られたカードがそもそも強いかどうかという「運」の要素がかなりの位置を占める。

配られたカードがゴミばかりだったら、どれだけ実力があって、駆け引き上手でも、勝つことは難しいだろう。

サイバーエージェント代表の藤田晋が、麻雀に対して、「本当のトッププロは、言い訳をしない」ということを言っていた。麻雀もまた、運の要素が絡むゲームだ。だから、強い人が必ず勝つとは限らない。

しかし、トッププロであればあるほど、結果がすべてだと言い、運悪く負けたとしても、「運が悪かった」とは決して言わない。「それも実力だ」と。その姿勢がトップたるゆえんだというのだ。
 
僕も仕事などでうまくいかないことは多々あるが、いちいち言い訳をしていたらきりがないし、姿勢がなってないな、と思う。運がいいか悪いかなんて関係ない。運も含めて、実力がすべてだ、と。
 
まあ、僕は大富豪をしても、姪に勝てるのは五分五分、っていうところなんですが。

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