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しみこませる

最近、地味にギターの練習を頑張っている。一日に何時間も練習したりすることは無いけれど、できる限り毎日、ギターに触るようにしている。新しいフレーズを覚えるのは時間がかかるし、うまく弾けないとストレスも溜まるが、毎日やっていると慣れてきて、少しずつできるようになってくるのは楽しい。
 
楽器の演奏は、無意識のうちにやっている工程がとても多いのだということに気がついた。もちろん、演奏時には「演奏」を意識して弾いてはいるものの、大部分は無意識の行動だ。歩いたり走ったりする行為に近いかもしれない。あるいは、食事の時に箸を使ったりする動作のような。

基本的な動作であればあるほど、反復練習を繰り返して、それが無意識のうちにできるようにならなければならない。だから他人に教えるときにそれを言語化しようとしてみると、うまく言葉にならなかったりする。自分でもどうやっているのか分からなかったりするのだ。
 
僕は比較的真面目な性格(?)だったので、学生の時にギターを練習する時は、教則本の課題フレーズを1から順番にやろうとしていた。大体CDが付属しているので、そのCDの順番通りに、最初から取り掛かっていく。これはこれで必要なことなのだと思うのだけれど、このやり方だと、そこまでモチベーションは上がらないよな、と。

自分が普通に好きな曲のギターソロなどを弾こうとすると、いろんなテクニックの技量が足りないことに気がつく。弾きたい、と思ってはじめて、そのテクニックの必要性に気づく。

そうやって必要性を実感してから、そのフレーズを引くために必要なものを習得する。習得できれば、次からは無意識でそれが弾けるようになる。それを積み重ねていくと、自分の中にフレーズのストックみたいなものがだんだんできてきて、組み合わせるだけで新しいフレーズも弾けるようになるし、最終的には自分でもフレーズを生み出せるようにもなるのだろう。
 
まず自分のやりたいことを考えて、それには何が必要なのかを調べて、地道な反復練習を繰り返してそれを習得し、だんだんと原曲のスピードで弾けるようになっていく。結局はこの繰り返しなんだと思う。

自分は絵を描かないので想像でしかないのだけれど、絵の習得もこれと似たような感じなのだろうか。人間の身体はそれぞれ別々だけれど、基本的な骨格は一緒のはずだ。

だから、新しく絵を描くときも、自分の中にある絵柄や立体構造のストックみたいなものを引っ張り出してきて、それらを組み合わせることで新しい絵を生み出していっているのだろう。素人の場合はそのストックがゼロだから、ちょっとした絵を描くのにも時間がかかるし、クオリティーも低いのだと思う。
 
僕は昔から何かを「覚える」のが嫌いで、できれば覚えるものが少ないものの方がいいと思って、「残せる」小説などを書いていたのだが、結局あらゆる創作は、反復練習によって「自分のストックを増やす」ことに終始するのだ、ということに気がついた。

覚える、忘れると言うよりは「体に染み込ませる」と言ったほうが近いだろうか。スポーツの練習なども、これと似た傾向があるかもしれない。

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