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映画を小説のように楽しむようになってから変わったこと

「映画」というものが、昔は、少なくとも小さい頃は、もう少し大層なものに感じられていた。

家族や友達と大きなスクリーンに映し出された平均2時間ほどの映像作品を拘束された時間のなかで鑑賞する。

もしくはソフト化されていればレンタルショップに行き、ソフトを借りてきては専用の再生機を使いテレビで鑑賞する。

何が言いたいかというと、「映画を観る」という行為はある程度体力を消費し、「観るぞ」と気合を入れながら事に及ぶというのが一般的だった気がするのだ。

AmazonVideo、hulu、そしてNetflix達やさまざまな配信サイトの登場、巨大化により、一般的視聴者、映画ファン(マニアは除く)の「映画」に対する、取り扱いの方法は変わっていったような気がする。いや、実際にそうなのかもしれない。

タイトルにある通り、映画は小説のような楽しみ方ができるようになったのだ。

視聴を分割する

移動中、私はスマホを操作する。

数分から数時間の移動のなかで私は、ニュースサイトで最新の情報を、TwitterでSNSを楽しみ、Netflixで映画を観る。

目的地に到着し、スマホを閉じる。没入していた世界はいかなる状況でも姿を消し、現実が戻ってくる。

空き時間、私は再度Netflixを起動し、映画の続きを視聴し始める。「映画を観る」という行為がこんなにも手軽に楽しめる時代に、感動を覚える。

一本の時間軸で硬くつながっていた映画という作品を分割し、現代の生活の中になじませることに成功したのだ。これでもっとたくさんの映画を楽しむことができる。

いつか観る(観ない)作品たち

私のNetflixアカウントのウォッチリストにはたくさんの作品がリストアップされている。ほとんどがこれから楽しむものだが、途中で観るのを止め、寝かしてあるものも多く存在している。

これまで映画を観ることに体力を使い、一本必ず観切っていた自分に変化が起きている。

序盤、中盤まで観てつまらなければ視聴をやめ、「また今度」と別の作品を鑑賞し始める。本でいうところの”積み本”ができてしまってきた。

分割してゆっくり観ることができるのは、まとまった時間を割くことが難しい状況においてはとても助かるのだが、その一方、映画を粗末に扱い始めているのかもしれないと、自分に少し危機感が芽生えた。

映画を最も楽しむことのできる鑑賞方法とは何なのだろう

例えばNetflix。Netflixオリジナル作品の中でも『ブラック・ミラー: バンダースナッチ』のように、映画館以外の端末で楽しむことを主軸においたインタラクティブな作品もある。それでなくとも最近公開された作品は劇場ではなくより身近な環境で鑑賞されることを予測して撮影された作品は多いだろうと思う。

映画の最も良い鑑賞方法はあるのだろうか。

スマホやPCなどのモニタで鑑賞した場合と、映画館のスクリーンで鑑賞した場合と、感情の変化はあるのだろうか。

変わった鑑賞方法と、変わらないこと

今はとても便利だ。外に出なくても数多くの作品がインターネットを通して楽しむことができる。

だが、映画を鑑賞するなかで、一番感動的に心に残る環境は、やはり映画館で観ているときだったと思う。

映像、感触、におい、さまざまな要素が合わさって記憶になる瞬間、この作品を観てよかったと強く感じることができるのだ。

映画館に行くことを楽しみにしていた過去の日々を思い出し、懐かしい気持ちになった。

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