見出し画像

気合ないとどうにもなりませんですの問題

何かをやる上では、気合が重要だと最近強く感じている。

ぼくはイラストレーターとして仕事をしているが、そこには常に「締め切り」が横たわっている。その締め切りに間に合わせるのも、あと一個良いアイデアを出すのも、もう少し良いイラストを描くにも、最後には気合が必要とされている(とぼくは感じる)。気合という言葉を聞くと「ダー!」という掛け声や恫喝的な印象を感じるかもしれないが、要するに「気持ち」の問題である。「やる気」と言い換えても良い。

世の中にはいろいろと「ハウツー(how to)」的な言説があふれている。しかしどのようにやるかを知っても状況が何も変わらないのは、行動が伴わないからという以前に、「気合が足りない」からだとぼくは見ている。これは「欲の弱さ」と言い換えてもよくて、欲が弱い人はどこにもたどり着けない。これは誰かを見てそう思うのではなく、ぼく自身の問題として感じていることだ。

「何もやりたくない」と思っている人を導き助けることはできない。「キミはどうしたいの?」と尋ねて「わかりません」と言われたら、放っておくしかないのだ。

「締め切りに間に合わせたい」という欲望こそが、締め切りに間に合わせる技術以前の大前提である。その前提を抜いて、「締め切りに間に合わせる時間術」などを学んでも、その術を活かすことはできない。

第二次大戦の反省か、バブル経済崩壊で元気がなくなったせいなのかわからないが、精神論は今ではとにかく嫌われる。「気合だ!」と叫ぶのはプロレスラーくらいで、現代ではほとんど誰も気合の重要性を語らなくなっている。そのせいで、ぼくのように気の抜けた人間ができあがってしまったではないか。

気が抜けているとなにもかもうまくいかない。何もかもうまくいかないから「どうしたらいいんだろう?」などと考えているのだが、端から見れば滑稽である。「いや、お前はどこにも向かおうとしていないだろう。それなのに、何を悩んでいるのだ?」と。こんなのはただの悩み癖である。悩むだけで満足しているだけだ。「どこかの目的地に行きたい!」という欲望が強くあれば、「どうしたらいいんだろう?」と悩むのは意味がある。目的地もないのに、悩むのは意味がない。

精神論が嫌われた結果、それは「楽しいことをやろう」に置き換わっている。楽しければ、好きなことならば、それはいつまでもできるではないかと。楽しいことなら探求でき、楽しいからアイデアをもうひとつ思いつき、技術も向上し、人に求められることも増え、良い仕事ができるのだと。しかし、締め切りに間に合わせることは楽しいことなのだろうか?それは楽しさとは全く別物で、楽しいことなら世の中にはいくらでもある。仕事は楽しさとは切り分けないとダメだ。切り分けずにいると多くの「楽しくない仕事」は放置され、世の中は荒廃していく。
仕事には「引き受けたからにはやるのだ」というような気合が必要である。楽しさがどうの、というのはまやかしだと思う。

話がどこにも向かっていないような気がするが、ここでは「気合の重要性」だけを言いたい。これは「欲望」の問題でもある。
何かがうまくいっていないのは、気合が足りていないだけという可能性があるし、それはつまり、欲が足りていないだけな可能性があるということだ。欲望こそが気合を生む。勝ちたいと思うから気合が入り、気合が入るからもう一歩前に足を進めることができる。

現代では、気合の重要性を指摘してくれる人はほとんどいない。「お前、気合が足りないんじゃないか?もっとやれよ」と社長が新入社員に言えばそれはもうハラスメント認定にもなる。だから気合の重要性を教えてくれる人は減っていき、気合がなくてうまく行かないひとは、ハウツー言説をいくら見てもうまくいかない。うまくいかない理由は、気合も欲も足りないからだ(というケースがある。気合が入っていたら即うまくいくという意味ではない)。

技術以前の問題として、どうなりたいかが重要だし、気合が入っているかが重要なのに、気合がないまま技術を学びはじめると、そこそこの程度で満足してしまう。「そこそこの程度」で満足するから、競争に勝ち抜けない。「より良いものをつくりたい」という欲望がなければ、「良いもの」であふれている中で競争に勝つことはできないし、自分のダメな点に一生気づけない。

どうしたら「良い」欲望を育成できるか?があらゆる面で重要である。
悪い欲望はいくらでもあり、「悪い欲望」を呼び起こすエサは誰かが常に撒いている。そのエサを無視して、「良い欲望」を呼び起こすエサを探す必要がある。「締め切りに間に合わせたい」や「良い仕事をしたい」という欲望と、「だらだらしたい」という欲望がぶつかり合ったとき、どうしたら「締め切りに間に合わせたい!」という気持ちを勝たせることができるか?そこに気合が絡んでいる。気合で「良いと思う方向」に向かわない限り、だらだらしたいという欲望に勝つことはできない。

(補足1)
犯罪者は欲望が強いので犯罪を実行できてしまう。「悪い欲望」に何よりも突き動かされている。欲の強さがあるから実現できてしまうのだが、欲望には悪いものと良いものがあり、良いほうに目を向けないと、いくらでも悪い方向に向かう。

(補足2)
文中にも書いたが、気合があれば即うまくいくわけではない。スポーツの世界を見ればわかるように、気合があっても勝てないケースは多々ある。しかし、気合がないのに勝てるケースはない。
サッカーのグアルディオラ監督を追ったドキュメンタリーなどを見ると、ロッカールームで選手たちに喝を入れていることが多々ある。個々の技術や戦術は、選手たちに気合があってはじめて活きてくるのである。

コメント、スキ、サポートなんでも嬉しいです。 反応があると励みになります。