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兄が遊ぶゲームを横で眺める日々

YouTuberの良さについて、ぼくはずっと良くわかっていなかった。「何が良いんだろう?」と思っており、なんとなく「テレビでやっている企画をやる二番煎じの人々」というような悪い印象を抱いていた。
しかし、最近になって少し意識が変わってきつつある。その話。

マリオのゲームを実況する人

きっかけは妻がNintendo Switchを買ったことだ。
ぼくもそれに便乗し、気楽に遊べる「スーパーマリオブラザーズ」のSwitch版を購入して遊んでいた。最初はただの気分転換だったのだが、「6-2」が全然クリアできなかった。難しすぎる!あまりにもクリアできないので、ネットで攻略方法を検索しようとしてふと、これはYouTubeにクリアの仕方がアップされているのでは?と気づく。そして見つけたのがゲーム実況である。

「ゲーム実況」のことは言葉では知っていたのが、見ようと思ったことはなかった。

ぼくが見たゲーム実況は、生放送の配信中にスーパーマリオブラザーズを全面クリアすることにチャレンジするものだった。何年も前に放送は終わっていたので、最初のほうをざっと飛ばして、6面のところを見た。すると、実況者も6面で何度も失敗している…。

実況者は淡々と「ここはちょっと待ってジャンプ」とか、独り言を言い、操作を失敗すると「あ!」と叫んで沈黙。ときどき横に流れるコメントにも答えながらプレイしていた。

実況者の顔は映っていなかった。聞こえてくる話や声だけで判断すると、実況者は過去にスーパーマリオブラザーズで遊んだことのある人で、40代あたりの男性っぽい雰囲気だった。
実況者の話し声を聞きながらぼくは「なんか懐かしい」と思ったのである。マリオが懐かしいのではなく、他人がゲームをプレイしている様子を横で見ているのが懐かしいのだ。そして「これは子供のころ、兄と一緒にファミコンで遊んでいたときの感じだ!」と気づいた。

昔の話

ぼくは3人兄弟の末っ子で、我が家にファミコンは1台しかなかった(その後スーパーファミコンを手に入れるが、ゲーム用のテレビは1台)。

兄弟3人が家にいると、ファミコンで遊べるのはぼくが一番最後だったから、ぼくはずっと兄2人がファミコンで遊ぶのを脇で眺めていたのである。

兄2人もゲーム実況者と同じように、失敗するときは「あ!」とか叫んでいた。ぼくも脇で眺めながら「そこむずいね」などとコメントしていたように思う。

家にあるゲームは先に生まれた兄のものであり、弟は「兄がゲームする様」を脇で眺めるのが主だった遊びだったのである。

YouTubeでゲーム実況を見ながら、子ども時代を思い出し、現代人がYouTuberの映像を毎日見るのは、もしかしたらそこに映っている人を、「兄のような近しい存在」として見ているのではないか?と思うようになった。

だいたいのYouTuber(ニコ生主でも)は、視聴者を自分と同年代か、年下のようの人間かのように喋る。年上の人に向けて畏って語るYouTuberはあまり見かけない。逆に多くのYouTuberにとっては、視聴者は弟のような存在で、自分より「多少は無知の相手」に「上から目線」で語る。そしてそれが視聴者にとっては、実は心地良いような気がする。

ゲーム実況で重要なのは、実況者も視聴者も同じようにゲームを見ているという点だ。視聴者は実況者を見ているわけではない。その辺が兄弟の関係に似ている。弟は、兄を見ているのではなく、兄がやっているゲームだけを見ている。

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ビジネスの現場を伝えてくれる本

話は変わるが、ぼくは大学を卒業するころ、ゼミにも所属しておらず、誰とも就職の話をしてこなかった。就職するという選択肢について、深く考えない軽率な学生だった。それで大学卒業後もフリーターでアルバイトをしていたのが、数年経ってからようやく、「このままだとヤバイかも」と思い始め、転職サイトを見るようになる。そして各社の募集要項に「要経験」の文字を見つけ、ため息をついた。

ぼくがため息をついていた時代は、ビジネス本というジャンルが勢いを増していた頃にシンクロする。なんでもかんでも「レバレッジ」を効かせるような仕事術の本がベストセラーになったたり、コンサルタントの勝間和代さんがビジネス書の書き手としてデビューしていた頃である。

仕事について、フリーターとしての悩みを相談する相手がいなかったぼくは、書店のビジネス棚の前に良く行って、そこで自分の悩みを解決してくれるような本を探した。フリーターから脱却したいという悩みは、同じアルバイトの同僚と話していても絶対に解決しない。話しても同じようにため息をつき、暗くなるだけだ。しかしビジネス書棚に並んでいる書籍群は、ぼくの悩みに応えてくれるような気がしていたのだ。

そのときぼくは東京に一人暮らしをしていて、2人いる兄は東京にいなかった。兄弟はそう簡単に「会おうよ!」と言い合う関係にもない。

兄と弟の距離感

ぼくがビジネス書の著者に親近感を抱いていたように、いまYouTubeを見ている人もYouTuberに親近感を抱いている。というのがこのnoteで言いたいことだ。
動画は毎日のように更新され、日々YouTuberを一番間近で見る。生配信であれば、コメントにも答えてくれる。そこに映っている人がなんらかの答えを教えてくれたり、正しい知識を教えてくれる人である必要はない。ただ頻繁に出会える人で、コミュニケーションが時々成立し、人間味が感じられれれば良い。

YouTuberは間違った知識を流布しているとか、つまらないことをやっているとか揶揄するのは簡単だ(ぼくはどちらかというと否定的な側に立つタイプではある)。しかし日常的にYouTuberを見ている人(特に子ども)は、純粋な知識を得る以上の何か、を感じるために見ているのかもしれない。
ぼくが思うに、それが兄弟の関係で、そこでは、友人や親、先生との関係の中では絶対に生まれないものが生じる。

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世の中にはいろんな兄弟姉妹の関係があるから、一概にこれが兄弟姉妹の関係だと断言できないけど、ぼくがいま想定している兄弟姉妹の関係は、最も気を使わずにズケズケ言って良い関係だ。
友だちとの関係は、何かを好き勝手にズケズケ言ったとき、「絶交」のリスクがある。キレられて絶交したら疎遠になって、そのあと関係が修復されないリスク。しかし兄弟姉妹は基本的に絶交のリスクがない。どんだけケンカしても疎遠にはならず、嫌でもそこにいる。同じ家に住んでいるから。むしろ、だからこそ安心してズケズケ言える関係が兄弟にはある。

いま、兄弟の親近感は本当の「家族」の中からは失われていて、YouTubeの中に移行しているのかもしれない。兄弟関係のアウトソーシングとしてのYouTube。親よりは面倒見は悪いが、適度に楽しませてくれる人が、YouTubeの中にいる。そこでは絶交のリスクを考えることなくわりと気軽にコメントできる。
配信者がどれだけ賢くてもアホでも、そんなことは見ている人にとってはわりとどうでも良く、親や友人よりももっと自分に近い存在としてYouTuberを見ている可能性はあるかもなぁと、ただ想像する。

弟の心

会社で上司や先輩の仕事ぶりを間近で眺め、どう仕事すれば良い仕事ができるかを現場で吸収できている人にとっては、ビジネス書は「薄い」と感じられるものかもしれない。ビジネス書に書かれていることは、現場にいる人にとっては当たり前のことだったり、ごく初歩的なことだけだったりするのだろう。でもその現場・環境に入れない人にとっては、ビジネス書は少しでも現場の雰囲気や知見を得られる貴重な情報源である。

家族がいて、兄弟姉妹がいる人にとってはYouTuberの魅力は良くわからないかもしれない。実際ぼくも、それほど魅力を感じているわけではない。それは、兄弟にいつでも会えると思っているからだと思う。

もしかしたら兄弟のいない人にとっては、ビジネス書と同じようにYouTuberも、友人や親との間には生まれない不思議な関係性を体験できる、貴重な存在なのではないか。そう考えると、「YouTuberになりたい」と言う子どもたちが増えたのは、ただ単に「兄ちゃんのやってることをオレもやってみたい」というような、ごくシンプルな弟心(妹心)なのかもしれない。

適当なことをさらに上乗せして言うと、そんな弟たち妹たちの中から、未来のイチローも生まれるのである…。

(補足)
YouTubeを日常的に見ている人から、「全然違うわ」という反応が出てきそうではある。

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