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さよなら炒飯!四皿目

嶋津の隣の家に由美ちゃんという同じ学年の女の子がいる。
二人は生まれてから隣同士の幼馴染。さっぱりとした性格で、他の女の子と連れ立ってトイレなんかにいかない。
そして優秀だ。成績は常に学年三番以内。おまけに本棚には僕達にはさっぱりわからない本が並ぶ。
並木が言う。
「経済人類学、宇宙流体力学ってなによ」
由美ちゃんは少しだけ左足を引きずっている。そのすらりとした色白の足をぼんやり見ている時に気が付いた。何があったのか。理由は聞いていない。
一度、マクドナルドで並木と二人でコーラとシェイクとアイスティーとポテトLサイズ五個を前に由美ちゃんからキアヌ・リーヴスやら延々とマニアックな話を聞かされた。ちなみにアイスティーは育ちがよいと思われる並木が頼んだ。由美ちゃんは「マックでアイスティーってどこの貴族?」楽しそうだ。

最初は「マイプライベートアイダホ」という、同性愛やドラッグ、近親相姦が詰め込まれた青春映画の主演、リバー・フェニックスにのめり込んでいたらしい。そのうちキアヌ・リーブスにスイッチした。
「他にはいるの?」並木が聞く。
「長瀬君とか岡田君かな。あ、レオンのゲイリーオールドマンがニヤニヤするのも最高」
振れ幅が大きいし、サイコパス刑事のどこがはにかむ顔なんだろう。相当ぶっ飛んでいる。長年嶋津といるとこうなるのかもしれない。
濃い場所にも足を踏み入れていた。キアヌがマトリックスで使ったベレッタM9のモデルガンまで持っている。優秀がオタクの服を着ている。由美ちゃんがしつこく主張する。
「軍納品がM9。一般市販用がM92F。ちゃんと覚えててね」

並木が言う。
「由美ちゃんってさ、ぼさぼさ頭とジャージとモデルガンでだましているつもりだけど、すげぇ可愛いと思わね?」
由美ちゃんが嶋津の部屋で何気に髪を整え、デカイ眼鏡をオーバルに変えた時、思わず息を飲んでやべぇと言った。それぐらい可愛い。
更に八十種類ぐらいある笑顔をその場に応じてコントロールよく繰り出す。
そして由美ちゃんは僕らの最強の参謀でもあった。定期試験の予想箇所をまとめたプリントを僕らに渡す。赤点回避コース、六十点コース、七十点コース、三パターン。確実にその点数は取れる。これがなければ僕ら三人は終わっている。



嶋津のノートPCの壁紙は映画「マネーボール」の舞台、オークランドアスレチックスの球場。弱小低予算アスレチックスをブラット・ピットが演じるGMマネージャーが統計から勝利を導く。
嶋津が言う。
「弱小野球部がマンガの様に強くなるのは、血がにじむ様な地道な練習じゃない。夢破れたオッサンが部員の熱意に動かされて監督になって、何とかなっちゃう事でもない」
「練習はありなんじゃね?」
「当たり前だ。練習しなければ土俵に上がれない。強い奴らは俺たち以上にやるんだよ。すげぇ設備でな」
「じゃあ、すげぇ剛速球投げる転校生が来るとか」並木が言う。
嶋津はしばらく並木の顔を見つめ、話を進めた。上半身は裸だ。
「組織的な戦術が必要になってくる。野球は組織だからな。それをデータで動かす」
嶋津は姿勢を少しだけ改め、もう一度「組織的な戦術」と呟いた。

嶋津の部屋で様々なバッテリーの配球と結果のデータを集めることにした。嶋津が言う。
「天文学のような美しいデータがあればそれに越したことない。でも妥協は大事、こだわりに捕らわれると柔軟性が無くなる」
本当は県内の高校全てのデータを取りたかった。しかし僕らのチームに専門のデータ班などいるわけがなく、練習試合などで当たった高校のデータしか取れない。
「これだけだと有効な母数にならないな」
僕は嶋津の部屋でプロテインバーをかじりながら言った。
「テレビ中継があるプロのデータも集めようと思う」
嶋津はコンビニで買ったとりのささ身を食べながら言った。
「プロなんか参考にならないだろ、あいつら化け物だぞ」並木が柔らかく言う。
「思うんだけど、人ってそんなに違わないと思うんだよ」 嶋津が返す。
「何それ」
「例えばさ、みんな噂話好きだろ」
「噂話にもよるけど」
「じゃ、由美の噂話なら朔ちゃん食いつくよな」
「どういうことだよ」
「朔ちゃん、俺はキャッチャーなんだぜ。察するのが仕事だ、由美のこと嫌いじゃないだろ」
確かに由美ちゃんは可愛いし一緒にいると楽しい。でも幼馴染の間に割って入るほどの度胸はない。嶋津はそれをわかって言う。慣れて来たけど二十回に一回ぐらいキレてもいいかもしれない。嶋津は並木に「バレバレだよな!」と言うが、並木は寝転んでスマホをいじっている。
「話戻すと噂話が好きなやつ多いよな」嶋津が並木に言う。
「まあ、確かに」
「そいつらが好きな話題ってなんだ?」
「誰が誰と付き合ってるとかか?」
「そうそう、ワイドショーとかだったら金のトラブルとか芸能人の喧嘩とか不倫だよな」
「まあ、そうだな」
「それ、千年前から変わっていない気がするけど、どう?」
「ギリシャ神話もそんなもんだしな」起き上がって並木が言う。
それには全く触れずに嶋津は言う。
「例えば、タジキスタンにワイドショーがあるかわかんないけど、あったら同じ内容だと思わない?日本と細かい所は変わると思うけど。眉毛とか」
「タジキスタン?」並木が割り込んだ。
「タジキスタンの美人の条件って眉毛が繋がっている事らしいんだよね。まあ、そんなことはこの際どうでもいいんだけど」
「眉毛?」並木が畳み掛ける。
「並木、ごめん。今は眉を忘れてくれ。俺が悪かった。何なら後で由美に眉毛繋げてもらう様に土下座する。要は噂話が好きな奴らは似通った頭なんだよ。例えば拉麵好きの奴らは同じ事考えて同じ行動をする。ファッションが好きな奴らは同じ事考えて同じ行動。だから流行なんて簡単に生まれる。話ズレたけど、バッターボックスに立つやつの頭なんか似通ってるんだよ。今時わざわざ野球やって、バッターボックスに立つ奴なんて、頭おかしいやつだ。だからプロ野球の配球から生まれる結果は高校野球でも近いものがあるはずだ」
嶋津の声は新興宗教の教祖の様に胡散臭い。既にパンツ一枚。僕らはそのパンツも脱ぐ勢いの男の話に引き込まれていく。
「言わんとすることは分かるけどプロだぞ?」
「プロ野球選手も人だ。野球ってくくりがあれば俺たちとそんなに変わりはない」
「やっぱプロと俺たちは全然違うぞ?」
「いや、そんなに違いはない。確かに体力とか運動神経とかもろもろ違う。でも日本人で野球やっててバッターで右利き。これだけで相当精度の高い母数だ。野球やってる奴の頭の中はそんなに変わらないはずだ。噂話が好きな奴の頭の中ってそんなに変わらないだろ。それを目に見える様にしたい」
「目に見える様に」並木が小さな声でゆっくりと反芻した。
「そうだ」嶋津はパンツを脱いだ。
「プロも俺たちも頭の中はそんなに変わんない。だからプロのデータも有効なんだよ。知ってると思うけど俺は天才で鬼才だ。それぐらいじゃないといくら偉大なエース朔ちゃんがいても甲子園行けない。でさ、プロは人手をかけられるから選手一人一人に対しての個別データを集められる。俺たちは人がいない。バッターがどんな行動を取るのか、薄らぼんやり掴む。それでいいんだ。薄らぼんやりデータの中に、近隣の奴らのほどほどのデータがあればいい。これだけでも他の高校と比べたら大きい差になる」

嶋津は前のめりだ。全裸でとりのささ身のかけらを落としても気が付かない。後でこの部屋は臭くなる。そして詐欺の計画の説明を終えた時のような笑みを浮かべて言った。
「大事なのはここからだ。BABIPを0.295以下にしないと土俵に立てない」
「ばびっぷ?」僕と並木が同時に聞いた。
「お前ら、まさか、知らない?」
 僕も並木も頷いた。
嶋津は「まじか」と言いつつ、僕らの反応を予想していた様で満足げだ。
「俺がお前らにBABIPを凄まじく簡単に説明してやる。グラウンド内に飛んだ打球が安打になった割合。投手の個人成績にも使われる。でも俺たちはチーム全体の守備力向上に使う」
「三振と四球は?」僕が聞いた。
「三振は入る。四球は入らない。ここがポイント。朔ちゃんは制球力の塊。四球は出さない。打たせて取る。そうなると守備が良ければBABIPが下がる。それはチームの守備の数字だ。でも安打と守備には運の要素もあるだろ」
「真正面にとんだライナーとか、ぼてぼてのゴロで塁に出たとか」
「そう。でもその運ってやつは結果に関係あるか?ぼてぼてのゴロで塁に出ようが、目の覚める美しいヒットで塁に出ようが関係ない。結局チームの守備の責任だ。その数字だ。BABIPは運の要素も取り入れられている。みんな同じ数字で表される。運で言い訳が利かない。相手に打たれるコース、打つ方向を前もって何となくでいいから調べる。さっき言ったぼんやりデータだ。ちなみに上原浩治が0.265、俺たちの松坂大輔は0.274。俺たちは0.295以下を目指す」
「その0.295、細かいデータが少ない高校野球でよく調べたな」並木が言う。
「何となくだ」
僕と並木は手にしていたリプトンの紙パック450mlのミルクティーを二人同時に噴いた。
嶋津は俺たちのミルクティーを浴びながら言った。
「精度の高いデータを多くは集められない。でもそれで充分。俺たちの指標は0.295。そしてここが一番肝心だ。キャッチャーとショートがいくら熱くなっても」
並木が口を挟んだ。
「俺も?」
嶋津は並木を無視し、僕を見つめて静かに言った。
「ピッチャーが熱くならないと何ともならない」
並木も僕を見ている。何か決めなくてはいけない雰囲気がする。でも決めると言っても、嶋津が言った事をやると決めるのか? 僕が?ピッチャーだから?
「そう だ ね?」
少し沈黙があり、その後「行こうぜ!」と並木が僕の頭を抱え、片手を突き上げ叫んだ。
全裸嶋津が少し力が抜けた顔で笑っていた。

0.295は僕らの指標となった。




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