育てて食べる暮らしから考える対等

 生き物はだれでも食べます。それは他者のいのちを奪う(いただく)ことです。

そしてだれでもウンチをします。そのウンチは他者のいのちを育てます。

あらゆるいのちが関わり合いながらいのちをつないでいきます。

それは循環し、共存する、対等な関係です。

 「育てて食べる暮らし」とは?

 より多くの食べ物を自給する農家の暮らしです。

畑や田んぼを耕し、庭先で鶏や山羊や豚を飼い、育てた野菜や卵や肉などを食べ、あまりものは家畜にやり、家畜の糞は畑にまく、そんな循環する暮らしです。

 狩猟・採集の時代の後、人間はずっとこの育てて食べる暮らしをしてきました。

 「育てて食べる暮らしから考える対等」

人間と自然との対等とは?

人間と人間に食べられるために育てられている豚との対等とは?

豚と他者のいのち(エサ)との対等とは?

大根と豚のウンチ(肥料)との対等とは?                           

友だちとの対等とは? 

親子の対等とは? 

 他者との対等を考えるとき、私たち人間は感情や主観だけに頼りがちです。

人間の感情や主観とは関係なく、育てて食べる暮らしの現場には、生き物の日々の営みがあります。

その営みを通じて他者とのつながりを実感することは、感情や主観にとらわれることなく、自分と自分以外の他者との関係を見つめることにつながります。

 「育てて食べる暮らし」の体験は何を目指す? 

 社会が進歩発展する中で、循環する暮らしをする人はいなくなってしまいました。

便利で豊かな現代の暮らしは、不便で不自由な誰かの暮らしの上に成り立っているのですが、それを見つめることなしに循環し対等な他者との関係を築くことはできません。

 

 育てて食べる暮らしの現場での体験は、自分たちが食べている他者のいのちと向きあい、いのちつながりを感じることで、他者との対等を考えるきっかけとなります。

そして、他者と共存する社会を目指そうという意識を育てます。  


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