現在実施中のやどかりハウス存続のためのクラウドファンディング。
8月16日現在で残り7日、目標額の95%まできました。
寄付の有無関係なく応援してくれている方々、本当にありがとうございます。
……と、さも運営者であるかのようにお礼を述べている私は、やどかりハウスの活動をまとめた2021年発行の冊子に編集者・ライターとして関わったくりもときょうこと申します。
やどかりハウスのマンスリーサポーターであり、グループチャットやお茶会に参加して日々助け、助けられております。
私自身は相談・宿泊は未利用ですが、息子が何度か利用しています。
閑話休題、本題に移りましょう。
今回のクラウドファンディングを応援してくれている方から、
「実際にどんな人の助けになるのか知りたい」という声が届きました。
(声を寄せてくださった方、ありがとうございます!)
そこで公式LINEに登録しているみなさんに、
「あなたにとってやどかりハウスはどんな場所ですか?」という問いを、
ユーザーのみなさんに日々接している秋山紅葉さんから投げかけました。
翌日には11通も返信があり、うち1通はわざわざお手紙をしたためて寄せてくれました。さらに3通いただいて、合計14通が集まりました。
14組の方々がどんなふうにやどかりハウスを捉えているのか、紅葉さんの補足を交えつつ1通ずつ紹介していきます。
やどかり初期の頃から利用してくれている方です。幼いお子さんを育てながら、ケアの仕事をしています。仕事も家のことも、はたから見ればうまくやっているように見えるかもしれないけれど、本人の中では苦しい状況でした。
相談というよりは、自分の時間を過ごすために季節に1回くらいのペースでやどかりハウスを使ってくれています。犀の角で個人的な社会活動も展開していて気になっています。
やどかりハウス2年目からつながってくれた方です。夫との関係で苦しくなっているけれど、子どもも味方してくれず、家に逃げ場がない状況でした。犀の角のスタッフや、他の宿泊客の方とちょっとした話ができるという体験が、気持ちを楽にしてくれたと話していました。今は年に1~2回の利用ですが、今回のように呼び掛けると気持ちを寄せてくれます。
電車に乗るのも外に出るのもしんどい、かといって家にいると過食や自傷をしてしまうという悩みを抱えている方です。先日、久しぶりに2泊しに来てくれました。1泊目は眠れなくて2泊目は泊まらずに帰ったのですが、「眠れなくて泣いてばかりだったけれど、来てよかった」と、その時に目にしたものや感じたことを絵日記に克明に綴っています。言葉を発するだけで崩れてなくなってしまいそうな雰囲気の方なのですが、絵日記はすごくカラフルで細かいことまでみっちり描いていて、観察眼のきめ細かさや鋭さ、巧まざるユーモアにあふれています。
夫との関係のストレスから気づかぬうちに子どもに当たってしまった方です。児童相談所の介入で「自分にかなりのストレスがかかっていて、それが子どもに向かってしまっていたということに初めて気づいた」というほど追い詰められていました。家族といることに強いストレスを感じていた状況でした。その2週間ほど前に、やどかりハウスに泊まろうかどうしようか迷っていたそうです。「あの時泊まっていたら、状況は変わっていたかもしれない。やどかりハウスを使おうか迷うタイミングで、迷わず使ってほしい」と『のきしたジャーナル』への寄稿でメッセージを寄せてくれています。
仲がいい犀の角の元スタッフから、「避難したほうがいいよ」と後押しされたことでつながりました。私たちやどかりハウスのスタッフよりも、犀の角のスタッフや宿泊者とつながりを持って、今も何かあったら同年代の若い友人たちに相談しているようです。今は、自分の生活を立ち上げつつあります。
家族で精神的な問題を抱えている方で、年1~2回利用してくれています。最初に来た時は目を合わせず重たい雰囲気をまとっていました。県内のとある居場所で同世代の若者たちとたくさん知り合って、だいぶ変化があったようです。今は犀の角の自習室にフラッと来ることもあります。先日、やどかりハウスに小学校6年生の子が駆け込んできたのですが、その子と知り合いということで、一緒に泊まってくれました。その時は「来ました!」とはつらつとした顔で登場して、表情が本当に変わったなぁと印象的でした。
障害を持つ子どもの親の会からつながってこられた方です。夫から20年以上激しい暴力を受け続けていて、4人いるお子さんも暴力を受けています。それでも夫から離れられないことに苦しんでいて、「自業自得だ」と言われることに悔しさや傷つきを感じていました。女性の自立のためのお茶会にも参加したり、主催も始めています。この方のように、客観的には一刻も早く離れたほうがいい状況から抜け出せないケースは珍しくありません。夫婦関係が支配関係になっていると、一緒にいて馴染みのある暴力に対応するほうが、離れてどこから“矢”が飛んでくるかわからない状態よりマシだと感じるようになります。また、自分の我慢で秩序を保つことが日常となるので、自分自身の気持ちを優先することがとても難しくなります。否定的なメッセージが自分の中で絶えず反響して自尊感情も失われ、自立生活のイメージが持てない、たとえ望ましい方向であっても生活が大きく変わることに不安を抱く方も多いです。その人に必要な時間をかけながら、よりよい状況を模索しています。
年の瀬に、父親から暴力を受けていた高校生が、家族も連れて逃げてきました。最初は市役所の相談窓口に行ったものの、本人とその家族を一緒に保護できる場所がなく、市役所の方がやどかりハウスを紹介してくれたそうです。世代をこえて暴力が連鎖しており、そのような状況を心配してくれた高校の担任の先生も、逃げる行動の後押しをしてくれたようです。
彼女は「今は自分が実現したいことはないから、やどかりハウスのために使いたい」と言って、信濃毎日新聞社の「チャレンジNAGANO奨学金」にやどかりハウスの就労事業のプロジェクトで応募し、給付されました。今はバイトをしながら大学に通っています。
この方は、実はもともと一緒に働いていた仲間です。学生の頃から摂食障害で苦労をしていて、死にたい気持ちが強まることもしょっちゅうありました。やどかりハウスに泊まりに来た日がちょうどみんなでごはんをつくって食べる「むすびの日」で、自然といろんな人と交流することになりました。自分のフラッシュバックや解離の体験をふつうに話している人たちを見て、「こんな自由な場所があるんだ!と驚いた」と言っていました。
DVから逃げた引っ越し先でのトラブルで身を寄せる所がなくなり、やどかりハウスにつながりました。この家族のように暴力から逃れても、経済的な問題や精神的な問題など何重もの生きづらさを抱えていると、安定した生活をすること自体がとても困難になります。ひとつひとつ目の前のことに対応しつつ、どういうことが起こっているのかをジャッジせずに対話を通して学んでいく必要があります。
やどかりハウスを入り口に、他の人と協力してイベントを開催したり、友人とパレスチナのガザ虐殺に抗議するスタンディングをしたりと、さまざまな活動をしている方です。お兄さんが父親から暴力を受けているのを止められなかった体験と、ガザの状況が重なったことが、スタンディングや絵による表現活動を続ける原動力になっていると話していました。今はXでガザ現地の人とメッセージをやりとりするまでになっていて、起こっていることから目を背けず感じ動き続けている姿がとても印象的で、連帯を感じます。
他のやどかりユーザーとの対話を通して、自分の言葉を紡ごうとしている彼女は、10年通っている居場所からの紹介でやどかりにつながりました。なかなか日常は変わらないけれど、離れてみてやっと自分の心と体に何が起こっているのかを、少しずつ感じ、言葉にしています。耳をそばだてないと聴こえないような小さな声で懸命に。
彼女との初めましてはオンラインのサポーターミーティング。横になったままの参加ではあったものの、画面越しに何かやれることはないかという熱が伝わってきて。今では、ファンの多い刺繍作家さんとしてやどかりハウスを支えてくれています。
最近は、息子さんがのきしたでバイト体験を始めたりも。これからも一緒に色々やっていきたい心強いサポーターです。
今は利用していなくても、ここがあるんだというイメージや想像ができるということで助かると言います。そういう感覚は、どうやったら生まれるのかが、今とても気になっています。
ユーザーの声と解説は、以上です。
……断片的でもその人を色濃く映すエピソードや言葉は、困っている人は「どこか」ではなく「すぐとなり」にいることを教えてくれます。
そして、困っている人は困っている状態に居着いて生きているのではないことにも気づかされます。
解決しない、助からない状況に絶望することと、その中においてもなお湧き上がる小さな力を困っている別の誰かのために差し出そうとすることは、矛盾なく両立します。
このつよさの中に、死にたい気持ちを抱えながらも生きたがる命のうごめきを感じ、たまらない気持ちになるのです。
やどかりハウスの神髄は、関係性が「助ける人/助けられる人」に固定されないところにあると私は感じています。
「今日も上田の街にやどかりハウスは開いていて、誰かがひと息ついているはず」という希望を、1年後の今日も、やどかりハウスに連帯するすべての人と見ていたい。そう願っています。
聴き手 ライター くりもと きょうこ
メッセージの解説 秋山 紅葉