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#338 密着されたけど、何にも手応えがなかった蕎麦屋

時刻はまもなく11時。もうすぐ開店の時間だというのに、手打ちそば飯田屋の2代目、ヨウスケは厨房で腕を組んだまま目を瞑っていた。

密着取材に訪れていたディレクターはその姿を、厨房の影から撮影する。

するとヨウスケは何を思ったか、朝早くから仕込んでいた今日の分のそばつゆを流しに捨て始めた。

「え、そばつゆ捨てちゃうんですか?」

ディレクターは思わずヨウスケに声をかけた。

「納得のいくそばつゆじゃなかったんで。」

シンクに流れていくそばつゆをじっと見つめたまま、ヨウスケは答えた。

「すみません、今日お店開けないことにしました。」

「え?」

「こんなもの人様にお出しできるようなもんじゃありませんから。」

「でも朝の5時から仕込んでたのに・・。」

「関係ないですよ。」

ヨウスケは空になった寸胴鍋を悔しそうに見つめた。

「僕はね、自分が納得した料理を味わってほしいんです。こんな中途半端な物出すくらいだったら、蕎麦屋なんかやらないほうがいい。」

ヨウスケは頭に巻いているタオルを外しながら、客席に座った。

「いやー、悔しいですね。もう30年も蕎麦やってるのに、未だにそばつゆも完璧に作れないなんて。」

カメラはヨウスケの表情に寄った。

「そこまでしなくてもって思ってますよね?」

「え?」

「たかだか蕎麦のために、そこまでしなくてもって。傍から見たらそう思われるかも知れません。でもね、僕は使命を果たしたいんです。先代の親父の味を、未来に受け継いでいくっていう使命を。僕にとって、蕎麦は梯子なんです。」

「梯子?」

「過去と未来をつなぐための梯子です。僕は蕎麦で、過去と未来を繋ぎたい。だから自分の納得できる蕎麦ができるまで、僕は走り続けますよ。」

ディレクターはカメラを回しながら、大きくうなずいた。

「僕はここでもう少し自分と向き合おうと思います。今日の取材はこんなもんでいいですかね。」

「はい。ありがとうございました。」

ディレクターはカメラを止めた。

「すみませんね。せっかく今日も朝早くから来ていただいたのに。」

「いえいえ。とんでもございません。それでは明日が密着最終日になりますので、また明日もよろしくお願いします。」

ヨウスケは黙ってうなずいた。

「それでは失礼します。」

ディレクターは店を出ていった。ヨウスケは誰もいなくなった店内を見渡すと、厨房の後片付けに取り掛かった。

すると帰ったはずのディレクターが浮かない顔で戻ってきた。

「あれ?どうされました?」

ヨウスケが尋ねると、ディレクターは申し訳無さそうに言った。

「撮れてなかったです・・。」

「え?」

「今日の朝の仕込みからさっきまでの映像、全部撮れてなかったです・・。」

「撮れてなかった?」

「カメラ回してたんですけど、どうやら容量がいっぱいだったみたいで。全部撮れてなかったです。すみません。」

「嘘でしょ?え、撮れてなかったって・・・全部?」

「はい。」

「今朝の仕込みからってこと?」

「はい。」

「え、じゃあそばつゆ捨てたところとかも?撮れてないの?」

「はい、すみません。」

「その後に俺が言った蕎麦に対する熱い思いも?」

「はい。」

「嘘でしょ!ええ!?そんなことあります!?」

「うわー、最悪ですよね!すみません!どうしよう、すごく良い映像だったのに・・・。」

ディレクターは頭を抱えた。

「ふざけんなよ!なんだよ撮れてなかったって!ちゃんと撮れよ!せっかくのいい映像を!そばつゆ捨てたんだぞ?」

「すみません・・。はあ〜・・どうしよう。なんでこんなことに・・。」

ヨウスケは一度ため息を付くと、ある提案をした。

「じゃあこうしましょうか?今からもう1回納得のいかないそばつゆ仕込みますよ。」

「は?」

「で、それをもう一回捨てますよ。それでいいですか?」

「いやいやいや!そんなのヤラセになっちゃうんで!」

「いやでも撮れてなかったんだから仕方ないでしょ?」

「いやだとしても・・」

「いいですよ、どうせ今日営業しないんで。この後もどうせ暇だから。納得のいかないそばつゆ仕込んで捨てますよ!」

「いやいや!そんなのダメです!ヤラセになっちゃうんで!」

ディレクターが断ると、ヨウスケは声を荒げた。

「テメーがちゃんと撮らないのがいけないんだろうが!!」

「いや・・」

「もう言わせてもらうけどな、こっちだってあんたの為にそばつゆ捨ててんだよ!」

「え?」

「今回の密着取材が盛り上がればと思って、こっちは良かれと思ってわざわざ店を一日休みにしてまでもそばつゆ捨てたんだよ!」

「そうだったんですか!?」

「実際のところ、まあまあ納得のいくそばつゆでした!でも捨てました!」

「・・・なんでそんなことを。」

「手応えなかったからだよ!」

「え?」

「この1ヶ月、あなたにずーっと密着していただきましたけど、ずーっと手応えなかったから!何も事件が起きない!話すべきエピソードも特に無い!ただ営業してるところひたすら撮って、あなたがずーっとつまらなそうにカメラ回してるのも僕気づいてました!」

「いや、そんなことなかったですけどね・・。」

「このままじゃ僕の回が、この番組のハズレの回になっちゃいそうな気がして!こっちはもう親戚やら同級生に告知しちゃってるのに!どうしようって考えて考えて!こうなったら山場作るしか無いと思って、捨てました!!」

「えぇ・・。」

「だから頼むよ!もう一回、そばつゆ捨てさせてくれよ!」

「どういうお願い!?」

「ちゃちゃっと仕込むからさ!どうせ捨てるんだから水に醤油っぽい色だけ付けて!すぐ終わるから!バレやしねえって!お願いだよ!」

「ダメですって!ヤラセになっちゃうんで!」

「じゃあせめて捨てた後に喋った熱い言葉だけでももう一回撮って?あれよかったでしょ?密着取材っぽかったでしょ?」

「いや・・まあ・・」

「あれだけでも撮って?特に蕎麦は梯子だっていうところ!あれ昨日の夜思いついて、すごく気に入ってるフレーズなんだ!」

「そういうの言わないでもらっていいですか!?」

「お願い!せめて梯子だけでも、お茶の間に流してあげて?お願い!」

「・・・わかりました。じゃあそこもう一回撮りましょう!」

ディレクターはカメラを回した。

「じゃあ、お好きなタイミングでどうぞ。」

ヨウスケはカメラ目線で力強く喋り始めた。

「僕にとって、蕎麦は梯子なんです!!!!未来と過去をつなぐ梯子!!!もう一度言います!!!蕎麦は・・・梯子だぁああ!!!!」

「そんなんじゃなかったろ!」

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