#336 思い出が薄れちゃってる奥さん
「奥様、お待ちしておりました。」
マサオはタクシーから降りてきたミヨコに深々と頭を下げる。まだ陽も登りきらない早朝。営業前の店内に、ミヨコを案内した。
「ついに僕の新作のラーメンが出来上がりました。師匠から受け継いだ味に、改良を重ねて完成したものです。ぜひ最初の一杯は奥様に食べてほしくて。」
「楽しみだわ。今日のために、昨日の晩御飯を抜いてお腹空かせてきたの。」
「では、作らせていただきます。」
マサオは作業に取り掛かった。ラーメンを作るマサオを見て、ミヨコは目を細めた。
「それにしても、立派なラーメン屋さんになったわね。」
「いえ、まだまだ修行の身です。」
「最初あの人のところに弟子入りしてきた時は、怒られてばっかりだったのに。こうも立派になって。きっと今頃あの人も天国で喜んでるわ。」
「そうだといいんですが。」
マサオは器にスープを注ぎ、そこに茹で上がった麺を入れる。そしてトッピングのネギとチャーシューを乗せると、ミヨコの前にそれをゆっくりと置いた。
「お待たせいたしました。新作の塩ラーメンです。どうぞお召し上がりください。」
「まあ、綺麗なスープね。美味しそう。じゃあ、いただきます。」
ミヨコは麺を一口すすった。するとミヨコは小さくうなずきながら目頭を抑えた。
「・・・美味しいわ。」
「ありがとうございます。」
「・・・あの人がお店を開いた時に、初めて私にラーメンを作ってくれたの・・。その時のことを思い出すわ・・。」
ミヨコは声を震わせながら言った。
「マサオくん・・。ありがとうね。」
「・・・とんでもございません。」
マサオの目にも涙が浮かんでいた。
「あの人のラーメンの味を残しつつも、マサオくんの工夫も感じられるわ。すごく美味しい。麺を変えたのね?」
「・・・わかりますか?」
「ええ。あの人のラーメン、私が今まで何杯食べてきたと思ってるの。あの人のラーメンのことは、私が一番わかってるわ。」
「ミヨコさん・・。」
「あの人の麺よりちょっとだけ短い。」
「あ・・いえ。長さは一緒です・・。」
「え?あ・・・一緒?」
「あ、はい・・あの〜・・長さは変えてないんですけど・・太さと、小麦粉の分量を変えさせていただきまして。」
「ああ、どおりで。長さじゃなくて太さだったのね。確かに、あの人の麺よりいくぶん太いわ。」
「あ・・・いや・・太くはなってないです・・。」
「ん?」
「えっと〜・・師匠が使っていた麺よりも0.5cm細いものを使っておりまして。」
「あ・・細い?」
ミヨコはもう一口ラーメンをすすった。
「太くなって〜・・・・」
「ないですね。細くなってます。」
「・・・そう。でも美味しいわ。」
二人の間に気まずい空気が流れる。ミヨコはその空気を振り払うかのように、スープを一口飲んだ。
「スープも美味しいわ。鼻から抜けていく豚骨の風味・・・あの人のラーメンにそっくり・・。」
ミヨコの目には再び涙が浮かんだ。
「なんだか・・あの人が今でもここにいるみたい・・。あの人にも・・・このラーメン食べさせてあげたい・・。この豚骨の・・」
「あ、鶏ガラですね・・。」
「・・・え?」
「これあの〜・・・比内地鶏と水だけで作ったスープなので・・。豚骨は・・入ってないんですけど・・。」
「え?」
ミヨコはもう一口スープをすすった。
「豚骨〜・・・・」
「鶏ガラですね。あの〜・・・前からあった醤油ラーメンは今まで通り豚骨スープなんですけど・・今回の塩ラーメンは・・鶏ガラで・・はい・・。」
「・・・なんかごめんなさいね。」
「え・・あ・・いや。」
「なんか私、何もわかってなかったわね・・。勝手に思い出に浸って・・。ごめんなさいね・・。」
「いえ・・そんなことは。こちらこそ、先に全てご説明すればよかったんですが・・」
「いや、いいの。全部私がわかってなかっただけだから・・全然いいの。全然いいんだけど・・あの〜ただね、浸らせてくれても良かったかもね。」
「え?」
「その〜・・今日のところは、豚骨だったっていうことにする優しさもあったかもしれないわね・・。ちょっとそういう風にも思うかも・・。うん、あ、全然いいんだけどね・・その〜・・バカ正直に鶏ガラって言わずに・・豚骨ということにしてしまう、そういう優しさが・・このラーメンには足りないかも・・。」
「え、急にダメ出し!?」
「優しい嘘って・・ある気がするの・・。」
「奥様。お言葉ですが、僕はこの一杯に魂を注いでます。だからこのラーメンの前では、嘘をつくような真似はしたくないんです。」
「・・・あの人そっくりね。」
「え?」
「そういえばあの人も・・ラーメンに対してはとにかく真っ直ぐだったわ・・。あの人の魂・・しっかりと受け継がれてるのね・・。」
ミヨコは再び涙を流し始めた。
「きっとあの人も天国で喜んでるわ・・。」
「・・・ありがとうございます。」
「マサオくん。あなたはもう充分立派なラーメン屋さんよ。これから先、きっと1人でやっていけるわ。」
「ミヨコさん・・。」
ミヨコはラーメンをすすろうとした。しかし、丼の中から何かを見つけた。
「あれ?髪の毛?」
「え?」
「このラーメン・・・髪の毛入ってる。」
「あっ、申し訳ございません。」
「・・・一体どうなってんのよこの店はー!!!」
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