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『 川村カオリ 』part1

憧れの人はたくさんいるけど
川村カオリは別格な気がする。

川村カオリが亡くなってから、何年が経つのだろうか…。
最後の最後まで、生きることを諦めずに
最後まで、ロックンロールと、愛娘を愛したひと。

川村カオリ著 ヘルター・スケルター

僕より二つ年下の彼女を観たのは、『ZOO』で
デビューした1988年。僕が19の頃だ。

女性的な美しさは感じなかったが、妙に惹かれる何かを感じた。

単純に、カッコよかっただけなのかも知れない。

山田邦子の「やまだかつてないテレビ」や
CMなどで観ることが多かった。 


一世を風靡した、川村カオリであったが、
あるときから突然観なくなった。

それをあとから知ったのはこの「ヘルター・スケルター」だった。

ここには、幼少期から、小、中学でのイジメ、
デビューのきっかけ、影響を受けた音楽、
さまざまな出来事が、赤裸々に語られていた。

川村カオリは、日本人父と、ロシア人母の、いわゆるハーフである。
当時の地方都市では、それは"異端"とみなされ
イジメ、嫌がらせが日々川村に襲った。

ある日、学校に行かなくていいように、
自転車で坂を全力で下り、そのままダイブした。
両腕骨折で、川村の願いは叶った。

そのくらい、追い込まれていたのだ。

そこから、都内杉並区への引越し、転校を経て
川村の人生はドンドン変化していく。

都会には、差別や偏見は、あまり存在せず
川村はイキイキと過ごすことを覚え、次第に
LIVE(パンク、ロック)に没頭していく。

初めて、心から信じ合える友達もできた。
その後、イギリス留学を経てから、ちょっとしたキッカケで、川村はデビューすることになった。

僕と同世代の人なら、当時の川村カオリは覚えているでだろう。

90年代に入り、JALのCMに起用され、それはシリーズで続いた。

当時、好きだったCMを載せてみる。


ちょうど美容師を挫折して、病んでいた僕には
川村はとても輝いて見えた。

当時の僕は、川村カオリに恋をしていたのだと思う。他のタレントや歌手とは違う"何か"を感じた。


この記事を書こうと思ったきっかけは、
たまたまYouTubeを観ていて、出てきた

➖川村カオリ追悼 三時間特別番組➖だった。

↑で、紹介した『ヘルター・スケルター』は
生い立ちから、イジメ、ロック、デビュー、
引退、復活、結婚、出産、癌との闘い、

そして、何があっても"生きる"ことについて書いた本だ。

2005年に出版されたこの本は、約20年前の
若き日の僕に、勇気と希望を与え、
"僕にとってのバイブル"として、何か辛いときは
その都度読み、何度も励まされてきた。


長くなったので、続きは別の機会に書くこととする。
ちなみに、川村カオリが結婚した"モトアキ"は、
(SOBUT)のギタリストで、僕の高校の後輩でもある。(後に離婚)

ボーカル YOSHIYA  ギター MOTOAKIは兄弟であるが、僕が幼い頃育った、千葉県の同じ富津の大貫という町で育ち
おそらく場所も近いところだったはず。

川村カオリが、一時引退をして、その後
復活して始めたバンド

『SORROW』は、ロカビリー&ロックで
めちゃめちゃカッコいいですよ。

では、今回はこの辺で…。

猪鼻康幸

追伸 YouTubeでいろいろ観れるので、
良かったら皆さん観てみてくださいね。


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