しおり市長の市政報告書 vol.30
市議会議員立候補概略
あれはもう、4年前の7月のことだ。
当時私は、織田ケンイチ代議士のもとで働いて、3年が経っていた。
代議士の事務所で働く者はまとめて「秘書」と呼ばれるが(事務専門の人達は、事務員さんという位置づけの場合もあるけど)、同じ秘書でも内実はかなり異なる。
ちゃんと資格をとり「公設秘書」と呼ばれる秘書。これは、ちゃんと税金から給料が出て、人数も3人と決められている。主に東京の衆議院議員会館の代議士事務所につめていて、国会での質疑、法律政策の立案、官僚との折衝など、東京での代議士の活動をサポートするのが主な仕事だ。代議士の地元出身の公設秘書もいれば、他の県出身の者もいる。「秘書」と言えば、一般的にはこの人達のイメージが強いだろう。その他にも、東京の事務所では幾人かの人員を雇うのが普通だ。
ただ、通常はその公設秘書だけでは足りない。
代議士の地元事務所に関わる秘書を雇わなければならない。選挙に受からなければ国会議員になれないのは当然だ。しかし、代議士は年間の大半を東京で過ごさなければならない。そこで、地元に事務所を置き、秘書や事務員を雇って地元対策を行う。これが結構な人数になる。こちらの給料はまるっきり、代議士の持ち出しだ。これを見ただけでも政治にカネがかかるという意味がわかるだろう。とても代議士の給料だけでやれるものではない。だから、政治資金パーティーなどで活動費を稼ぐわけだが、当選したての国会議員などは苦労の連続だ。
織田ケンイチ代議士の場合、山形市・天童市・上山市・中山町・山辺町の3市2町を選挙区とした山形一区が選挙区だ。比較的範囲がコンパクトだし、対象市町も少ないが、それでも、山形市の本事務所に数名、天童市と上山市と2町にそれぞれ一名の担当秘書を置いていた。
東京と山形、代議士と10名ほどの秘書と事務員。国会議員の活動とは、チームプレイなのだ。
私は、この天童市担当の秘書をしていた。
入ったばかりの頃は、右も左もわからず、山形市の事務所で雑用ばかりしていた。そのうち先輩に連れられて、天童市を巡るようになった。ケンイチ代議士の代理として行事に顔を出したり、天童の政財界・農業のお偉方や、地域の後援会の主要メンバーなどを紹介してもらって、顔をつなぐ。
天童担当として独り立ちしても、基本的にはやることは同じだった。それにプラスして、天童における代議士の新年会などを企画して、チケットを後援会の方々に買ってもらったりする。いわば、代議士の代わりに地元天童の選挙対策をする、というのが仕事だ。
むろん、衆議院が解散して、選挙になれば、目の回る忙しさになる。(以下、選挙にまつわることを列挙しますが、つまらないと思う市民の方は、読み飛ばして下さい)
リーフレットを作成し、配布する。ポスターの張り出し場所を確保し、数百カ所にボードを設置し、ポスターを貼る。応援してくれている市議などを中心に、選対本部を立ち上げ、選対役員会を開催する。天童の選挙対策事務所の場所を探して借り、そこに机や椅子を搬入して事務所を設営する。コピー機や事務用品を確保し、電話線などを引くなどのリース契約をする。事務所開きと必勝祈願のご祈祷を企画し、後援会の皆さんに連絡して集まってもらう。企業に依頼文を郵送し、推薦状を獲得していく。代議士本人や家族から、地域の人達に細かく回ってもらうために、その引き回しの計画をつくる。ホームページやSNSを運営する。決起集会や女性の集い、青年の会などを企画し、案内を出して実行する。選挙戦がスタートすれば、出陣式の開催、個人演説会の企画・案内、選挙カーの手配と日程・ルート調整、選挙期間中の事務所運営、企業への朝礼周りの手配などなど。こうした業務を、山形市の選挙事務所と連携しながら行っていくのだ。
衆議院の解散は急になされるから、これらのことを短期間にやらなければならない。とても立候補者一人でできることではない。もちろんお金もかかる。何度も選挙をぶっていれば(我々は選挙を「ぶつ」と言う)ある程度の準備もあるし経験値もあるが、はじめて選挙に臨むとなれば、相当な苦労だろう。やはり、選挙は二世三世の方が、絶対に有利だ。地盤・看板・カバンは、最強の武器なのだ。
国会議員の場合はチームとして選挙に臨めるが、県議会や市議会選挙などは、基本的には雇っている秘書などいない。立候補者本人がこれらの選挙を仕切っていくことになる。これまた選挙を知らない新人は大変だろう。選挙を経験しているという意味で、秘書は議員への立候補が有利だと言える。私も立候補したときはその経験が大いに役立った。
ともかく、こうした選挙ともなれば、地元担当秘書はフル回転だ。
天童市長選や天童市議会議員選挙があれば、ケンイチ代議士を支援する側の応援にかけづり回る。
選挙ともなれば、私の不手際は無数に出てくる。苦情もいっぱい受ける。熱心にケンイチ代議士を応援してくれる人ほど、足りない部分への叱責がある。当然、反対陣営からの攻撃は日常茶飯事だ。
しかし、充実していた、と思う。
農業の方に会う。観光関係者に会う。商売をやっている人に会う。行政関係者に会う。地域の代表者達に会う。色んな人と会って話を聞き、代議士に要望や悩み事をつないでいく。すべて、新鮮な勉強だった。
それぞれの業界の実情、地域における課題、行政の動き、事業実現の際の法律の壁、そうしたものがわかってくる。
すると、今まで見てきた天童市とは、違った天童市の像が見えてきた。
今まで単なる田んぼだと思ってきたものが、そこには圃場整備の手が入っており、土地改良区が水利を確保し、農家の方が機械化して経営し、できた米を農協や独自ルートで流通させていることを知れば、ものすごく貴重なものに見えてくる。
開発されたミニ団地が、市と住宅開発公社が連携しながら、土地の農振除外をかけ、地域住民が土地売却のハンコを押し、設計測量・建設業者など多数の手が入ってはじめて開発されたことを知れば、家々を見るたびに背景にある人の苦労を思ってしまう。
道路が、長期的な都市計画のもと、地域の人達が期成同盟会をつくって県や国に要望し、軟弱地盤に苦労したり遺跡が出土するなどという事態を乗り越えて、20年越しで完成した上で、草刈りや除雪を地域の人が行って維持していることを知れば、道が地域の宝であると認識する。
あらゆるものに、色んな人の思いが詰まっている。
あらゆるものが、簡単にそこにあるものではない。
その中で政治家の役割とは、市民が求める事業を、将来の青写真を描きながら、法令を乗り越え、多数のコンセンサスをとりながら、実現する道筋をつくることだ。ケンイチ代議士の下で働いて、そのことがよくわかった。
就職先がないから、などという不埒な理由で就いた秘書の職だったが、ケンイチ代議士の活動を支えることに、充実感と誇りをもてるようになった。
しかし、そんなときのことだった。
あれは、ケンイチ代議士の選挙ではない、参議院選挙のときだ。
あるテレビ局の夕方の報道番組だったと思う。その際の参議院選挙について、街の人達にインタビューしている映像だった。私は、県内の参議院選挙を手伝いに行っていたが、選挙事務所でその映像をなんとはなしに見ていた。
インタビューに答えていたのは、白髪まじりの70がらみの男性だった。
「今回の選挙、候補者に期待することはなんですか?」という質問に対し、
「期待してないですね。政治家になんてなにも期待してないです。誰が出ても同じですよ」とその男性は答えた。
「では投票はどうされます?」
「ああ、今回の選挙も適格者なし。選挙なんか行きません」
この瞬間、私はブチ切れた。
答えているのはチャラい10代などではない、団塊の世代とおぼしき立派な大人だ。そんな大人が、いかにも上から目線で答えている。しかも、なにやら得意げで、選挙をバカにするのが知識人だとでも言いたげだ。
ふざげんな!
選挙は、民主主義の根幹だべした?選挙によって政治家を選ばねんだったら(選ばないんだったら)、王政や独裁となにが違うんだず?選挙は権利だどが言うげど、民主主義国家においては、むしろ義務に近いんでないの?んだのに、政治家に期待しない?選挙にも行かない?そりゃ、民主主義の放棄だべした?選挙ば(を)放棄すんのは、統治者選択の放棄だべ?それ放棄したら、統治者がら何さっでも(何されても)文句言わんねじゃあ(言えなくなるぞ)?
ぼだな(そんな)基本的なごど、「知識人」がわがんねの(わからないの)?ほだな恥ずかしいごど、なんで得意げに言えんの?
だいたい、なんでマスコミはこんなインタビュー採用すんの?放映するに値しない発言んねのが(じゃないのか)?むしろ、放映したなら良識のない発言として批判すべぎんねんだが(すべきじゃないのか)?それとも、マスコミも同じ穴の狢か?
適格者なし?そだい(そんなに)あんたが有能なんだったら、あんたが選挙さ(に)出ればいいべした(いいじゃん)。んでなぎゃ(じゃなければ)、投票所さ行って、白票投じればいいべした。適格者なしの意思表示ばすればいいべした。
自分の意思表示をしない批判者は、卑怯だ!
安全な場所からの批評家は、非生産的だ!
…そこまで考えた時、私は猛烈な自己嫌悪に襲われた。
じゃあ、お前は何なんだず(なんなの)?お前はどごがで意思表示してんだが(しているのか)?お前は安全な場所にいねんだが(いるんじゃないのか)?
「天童のあそごば(を)、こうしたらいいのに」
「山形県のあれ、もっとやりようあるべに」
「国のあの制度、おがしぐねえが?」
そんな発言を、お前はしてきたんじゃねえのが?そんな偉そうなごど、お前に言う資格あるんだが?そんな批判、居酒屋で酔っ払ってでも言えっぞ?
お前、羽柴ケイスケは、ケンイチ代議士の偉光で、政治に関わってる気になってるだけだ。その自省が、私自身を苛んだ。
選挙に携わる人間が偉いわけではないだろう。政治家しか、批判の言を述べてはいけないわけでもないだろう。天童を、山形県を、国を良くしたいと思う人間が、すべからく立候補しなければならないわけでもないだろう。
しかし、なぜだろう?
あのときの私は、今の自分を許せない気持ちに突き動かされた。
ケンイチ代議士に電話する。代議士は、参議院選挙で山形県内を飛び回っていた。「相談したいことがある」と告げると、忙しい中、時間をつくってくれた。参議院選挙の応援演説が終わった真夜中、選挙事務所の一室だった。
「今年行われる天童市議会議員選挙に、立候補したいと思います」
私は、まっすぐにケンイチ代議士に言った。
しばし、ケンイチ代議士は無言だった。厳しい目で、私を見つめていた。そして、フッと一笑する。
「ケーちゃん。政治家になるなら、代案なしで人を批判するような政治家にだけは、なるなよ」
一言だけだった。それで、ケンイチ代議士は立候補を了承してくれた。
まだ親にも相談していなかった。選挙体制やお金のことも、一切考えていなかった。
しかし、ケンイチ代議士にもらった了承で、ケンイチ代議士にもらった一言で、私は決心を固めることができた。
私が事務所を突然やめれば、色んな迷惑がかかるだろう。天童の市議会議員に立てば、ケンイチ代議士を推している市議達からの反発もあるだろう。そんなことをケンイチ代議士は一言も口にしなかった。
ただ、私に金言をくれた。
「代案なき批判をしない」これが、私の政治信条となった。
vol.31に続く ※このお話はフィクションです