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ダメ男、とりあえず起き上がる

◆はじまりのはじまり

正直、サブタイトルってのはあんまり好きじゃないのですが、どうしてもね、こういうことをしないと自分で趣旨を見失いそうなもので。

わかる人にはわかるはずですが、このページのサブタイトルは谷崎潤一郎の名作「猫と庄造と二人のをんな」のモジリです。
この小説、映画にもなってる。1956年に森繁久彌主演、豊田四郎監督で東宝で作られました。
まァね、古い映画なので見たことがある人は限られていると思うし、小説も読まない人はぜんぜん読まないわけで。
かくいうアタシも小説なんか読まない人間です。だから谷崎潤一郎の作と言えど(むしろ大家の著作だからこそ余計に)興味がありませんでした。

しかしこの小説の筋立てはそそられるものがあった。何故なら主人公の庄造はどうしようもないダメ男だからです。
ダメ男=クズ男ではない。庄造は鷹揚だけど根本的にヤル気が欠如しており、周囲の状況に流されるままに生きている。というかハナから抵抗する気力なんかないのです。
つまりクズ要素はかなり少ない。それこそ「水曜どうでしょう」のミスターこと鈴井貴之は「ダメ人間」と言われながらクズ要素も多いんだけど、庄造はそうではない、と言いたいわけでして。

さて、ではアタシは、というとですね。

◆ダメ男は根気はないけどダラダラ続けることは出来る

noteの存在を知ったのはたしか1年ほど前でした。

へえ、こんなのがあるんだ。ふむふむ、ウェブ上に文章を書くことに特化したサービスか。
たしかにこれはブログとはちょっと違う。ブログってのは、長々と書く気はないけど、あれはウェブログ、つまり「日常を記録する=果てしなく日記に近いもの」を書く場所だったはずだから。もうそんなの関係ないくらい違う使われ方をされてるけどね。
しかしnoteはそうではない。日記ではなく<文章>を書く場所。逆に言えば訪れる人は文章を読むのが目的ってことになる。となると、これはアタシような人間にピッタリなのではないか?
一瞬、そう思ったけど、そのタイミングではスルーした。理由は後で述べます。

アタシが自分のサイトを作ったのは2003年のことです。以来、休止した期間もあったとはいえ、17年間、ずーっと駄文を書いてきました。
その駄文とやらがどういうものだったか。
内容はともかく、テイストはずっと一貫していました。

写真なんか貼り付けない

改行なんて最低限

肝心な説明はすっ飛ばすくせに、どうでもいい説明は延々とやる

正直このスタイルは不評もいいところだった。もし世間の反応を第一に考えるのなら、不評に耐えきれず投げ出していたと思う。
そこでアタシは開き直った。

誰ひとり読んでもらわなくてもかまわない

むしろ誰ひとり読んでない方がいい

とにかく自分が書きたいことを書きたいスタイルで書く

アタシが駄文を書き続けたのは「インターネットを通して人々と触れ合いたい」では、まったくなかった。それよりも駄文を書くこと自体が好きで、たまたまインターネットという媒体を使って駄文を<保存>しているって感覚だったんです。
嫌にならなかったのかって?なるわけがない。だってアタシはダメ男だから。
ダメ男ってね、根気は皆無のクセに、ダラダラと同じことを続けていくことは得意なのです。
止めなきゃいけないことでも、誰かに「止めろ!死んでも止めろ!!」って言われるまで続けてしまうわけで。

でないとこんなスタイルを10年以上続けられないよ。

◆ダメ男にnoteが向いてるのか否か

今までアタシが駄文用に利用していたサービスはTumblrってヤツでした。

Tumblrもまた独特のサービスでして、一般的なブログサービスとはかなり異なります。というかTumblrでブログを書いてる人は本当に少ない。
最大のメリットは「広告が少ない」ことです。アタシはそこに惹かれた。でも一般にTumblrと言えばウェブクリップサービスとして使ってる人が大半のはずで、アタシのように毎日駄文を書いてるってのは特殊な使い方だったといっていい。
もうひとつ、これはどっちとも言えるんだけど、Tumblrってね、何でかわからないけど極端にGoogle検索に引っかかりにくいのですよ。
今までのアタシはこれをメリットと捉えていた。何しろ誰にも読んで欲しくなかったんだから。

ところがここにきて、誰にも知られずにひっそりとっていうスタイルに飽きてきた。
もちろんね、人気者になりたいってことじゃないんですよ。誰にも邪魔されず、書きたいことだけを書きたいってのも変わってないし、そもそもアタシは改行だらけの文章が大嫌いだから、その辺も変えるつもりはない。
それでも、何というか、こうしたアタシのスタイルをね、理解してくれる人がいるんじゃないかと。

そうなると、一度は断念したnoteがアタシの中で急浮上してきた。少なくともnoteは<文章>を書くのに特化したサービスだろう、と。
しかしそこで強烈な不安感がアタシを襲った。
直前まで使っていたTumblrは良くも悪くも「何でもアリ」で、アタシの駄文が目立つことはない代わりに異物感もない。例えるなら「何でも好きな絵を描いてね」ってところに植田まさしのキャラを描くような感じです。
ところがnoteはそうではない。上手く言えないけど

鬼滅の刃とかラブライブのイラストしかない場所で

よくもまあ、かりあげクンとか描けるね

いや、これじゃ余計わからないか。そうじゃなくてつまり

アンタの書いてる文章ね、それ、noteの雰囲気にまったく染まってないから

なんて言われるんじゃないか?
何しろアタシは17年も駄文を書いてきたのです。
良く言えば書き慣れている、悪く言えば手練が強すぎて、つまりクセが強すぎてオミソ扱いされるんじゃないかと。

実際、noteのいろいろなエントリを読んでみました。
うん、何というか、人気のある人はみな「ウィットに富んだオトナの会話」ふうの文章を書いてる。
これをアタシがやるのは如何にも無理がある。ギャグというかボケるのは大好きだけど「ウィットに富んだ」って表現を用いる類いの洒落たセンテンツには出来ないし、もういい加減オッサンもオッサンなのにガキの気分が抜けない。
いや、ガキかオッサンか以前に、アタシは自他ともに認めるダメ男なのです。考えてもみてください。

ウィットに富んだ会話を愉しむダメ男

含蓄に溢れる言葉を吐くダメ男

さわやかな印象だけを残して華麗に幕を閉じるダメ男

ああ、どれもありえなさすぎて、メマイがしてくるわ。

◆はじまりのおわり

そんなダメ男を醒めた眼で、じっと見ている。
彼女は人間ではない。猫です。

12歳になる、まァ言えば老猫。
名前は「ぽんぽこ」。何でまたそんな名前なのかは次の機会に譲るとして、ぽんぽこはもはやペットではない。アタシの相棒です。
そうです。「猫と庄造と二人のをんな」の主人公である庄造同様、アタシもまた、誰よりも猫を愛しているわけで。
アタシとぽんぽこ、そして、ぽんぽこ以外の猫。さらに「二人のをとな」とは誰なのか。
とにかくそういうことを今後も書いていきますので、もしよろしければ、何らかのリアクションをお願いします。

てなわけで続きます。その時まで、さらばじゃ!