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何者かになりたい(宣言)

何者かになりたい。

大学4年間・大学院1年間、ずっとそう思いながら生きてきた。

何かに熱中していたい。

大学という研究機関でしかできないことという軸で化学を選択したが、高校生の時の選択は本当に合っていたのだろうか。ずっと興味は情報系から離れなかった。

とはいえ具体的な行動ができていたかというと怪しい。

SNSマーケのインターンや実験バイト、ビジコンや意識高い系の組織に所属したこともあった。研究に病んで四国を自転車で1周したり、キャンピングカーでアメリカ横断したりしてみた。

しかし、抜けないのである。

迫り来る謎の焦り。

「自分は何者にもなれないのではないか」

アカデミアでも、経済界でも、成功できないのではないか。

ずっと誰かに評価されるのに怯えて、フルパワーを出すのを躊躇っている自分がいる。

自分に向いているのはこれではないのではないか、常に目の前のことに対して思ってきた。

「熱中するものを見つけたい」

そう思い続けた5年間だった。

元々修士に行くつもりだったから、と言い訳まじりにモラトリアムを延長し、あれだけ皆と同じが言っておきながら就活をしている自分。修士1年の時に何度自分を見失ったかわからない。多分人生で一番体調を崩した1年間であった。

そしてこの2月、頂いていた内定も辞退して休学した。

「一度情報系の勉強を本気でしてみたい」

嘘ではなかった。3月丸1ヶ月42tokyoの入学試験のために毎日10時間以上プログラムと向き合う時間は非常に有意義に感じた。

4月5月も機械学習・アルゴリズムの勉強をしている時間は楽しかった。

明らかに自分のできることが増えている感覚があったからだ。

しかし、これは今だけのドーパミンフィーバーではないのか?

言い換えると、新しい分野を学んでいる初期だからこその"beginner's luck(ビギナーズラック)"ではないのか?ダニングクルーガー効果における"馬鹿の山"なのではないか、という疑念である。

DALL-E作「ダニングクルーガー効果」

本当にこのまま学んでいていいのか?自分の進みたいキャリアはこの先にあるのか?と謎の焦燥感が襲ってくる。

思い返せば、いつもここでやめていた。大した成果も出さず、いろんなことに興味を持つ自分を正当化して、いろんなことに片手を出しては引っ込めていた。それも視野を広げるためなどと見苦しい言い訳を添えて。

もちろんいろんなことを学ぶことは大事だと思うし、そういう期間もあっていいと思う。ただ、僕の場合は新らしいことを学ぶのは常に目の前のことから逃げるための手段であった。

本当に情けない。

しかし、一回本気でこの事実に目を向けないといつまでも言い訳を続けて何も成果を出せない情けない大人になることが目に見えている。

これから将来アカデミアに進むにせよ、自分の会社を作るにせよ、今いる組織を勝たせられない人間はどこに行っても成果は出せない。

休学を決めてから、HP制作・アプリ制作・電子工作などを含めていろいろ手を出してきた。

しかし、6月に入るこのタイミングで一回選択と集中を行おうと思う。

休学を決めてから最初の興味関心であった、「受託から始まるAIスタートアップの生態理解」と「機械学習・アルゴリズム」の学問的理解の2軸に改めてフォーカスを当て直す。

業務に必要だったらなんでも学ぶ。ただ、今はAirionを本気で勝たせる。それが自分にも社会にも、そしてAirionにも価値のあることだと信じて。

まず12月までは脇目も振らず、前に進み続けようと思います。

このnoteは自分に覚悟を決めさせるためにここまで書いてきました。
読んで頂いた方、本当にありがとうございます。

もしあなたも、もし今の生活に迷いがあったら、何か成果を出せなくて悩んでいたら、期間を決めて(一種盲目的に)熱中してみて欲しいです。

もし一度本気になっても無理だったらそこで諦めればいいじゃないですか。

本気にならないと向いているかどうかもわからずに、一番無駄な時間を過ごしてしまう気がしますし。

お互いいい人生にしましょうね。

それではまた!

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