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なにもない街のルーティン

「この街はなんもないなぁ。」

初めて社員寮に訪れたときの印象はこれだった。どこに住んでるのかという話題になっても「あの街なんだ!あの店いいよね!」なんて言われる事は一切ない。合コンでも「ふーん」の一言で終わるような街。引っ越して8年が経つけど、いま現時点ですら住みたい街ランキングで上位に入ることはないと思う。

でも住みはじめてから6ヶ月が経つ頃には、その街で自分なりのルーティンが生まれていた。

平日は遅くまでやっている銭湯に行ってリフレッシュし、土曜はマンションから歩いて2分の鰻屋で気力を充電し、日曜は駅前にあるコアな寿司屋で締める。

「なにがオススメですか?」
『そりゃあ全部だよ〜!』
「ですよね〜!」
「『あっはっはっは』」

鰻屋と寿司屋では、こんな会話を毎週のように繰り返した。そこに会話の発展性はない。どんなときも、いつも通りに、同じ会話だ。

それから1年半後に僕はいわゆる住みたい街ランキングの上位の街に引っ越した。さらにその2年後、僕はそこを出てまた別の人気エリアに引っ越した。

ただ不思議なことにその街で何をしていたか、記憶があまりない。楽しかったという感覚はあるのに、鰻屋のおばあちゃんや銭湯の怪しいにいちゃん、寿司屋の板前さんの掛け声のような、具体的な街の風景が思い出せない。

思うに、きっとその特徴ある街は他人のお気に入りで埋め尽くされていて、そのお気に入りたちに埋もれるように僕は暮らしていたのだと思う。

ここの店は行くべき。
ここに住む人はこんな人たち。
ここではこんなイベントがある。

何でも自分が発掘したいというわけではないけれど、いま考えれば、それはそこに住む上での「枠」を知らず知らずのうちに渡されているようだった。

最初の街は何ひとつ押し付けてくるものはなかった。余白がある、というより、そもそも何も描かれてない。そんな自由があった。好きになるには時間がかかったけど、誰に言うわけでもないオンリーワンなものは生まれた。


去年、僕はまた人気エリアから引っ越し、ほとんど何もない街に引っ越した。理由はたまたま安くて広い物件があったから。そんなもんだ。

そして、先日初めて近所にある街のお弁当屋さんに入った。がらんとした老舗。ショーケースには何も入っていない。大丈夫かな?と思いつつ、奥の壁にぶら下がったメニューを見て聞いてみた。

「なにがオススメですか?」
『そりゃあ全部だよ〜!』

今では、ここの生姜焼き弁当と唐揚げ弁当が僕のルーティンだ。


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