後ろめたさと友達になりたい。

後ろめたい気持ち。
日々暮らしているとよく出会う気持ちですよね。

僕もだいたい一日一回は顔合わせしているので、後ろめたサーな人間です。

ただこの感情、案外悪いやつでもないことに気がつきました。付き合い方さえ覚えれば前向きに暮らすヒントをくれる友達になれる。

きっかけは、よくよく考えてみると、別に自分が悪くない時ですら、というか、誰も悪くないし状況も何も悪化していない時ですら、感じてしまう後ろめたさがあるなぁと思ったことです。(もちろん、自分が悪い後ろめたさも多発しており、死ぬほど反省してます。)

では、悪くない後ろめたさって何だろう?と、改めて「後ろめたい」の意味を調べてみました。結果はこれです。

1 自分に悪い点があって、気がとがめる。やましい。
2 自分の目が届かず、不安である。心もとない。気がかりだ。
3 油断がならない。気が許せない。

これを見て、ああなるほどと思いました。

1は自己責任でグゥの音も出ない時、3はあまり感じないので今回は置いておきます。お話したいのは、2の「自分の目が届かず、不安である。心もとない。気がかりだ。」です。

例えば、2に当てはまるものとして、僕は「働く時間を短くすること」「人からの誘いを断ること」に後ろめたさを感じてしまうことがしばしばあります。

まず一つ目。働く時間を短くすること。

これは、別にサボるという意味ではありません。

人生、仕事だけじゃないのだから、家族や友達、読書、勉強など時間を使いたいものがたくさんあります。そうして、いろんな幸せをいろんな場所に作りたいわけです。(これについては先日ブログに書いたのでよろしければ合わせてどうぞ↓)

参照:幸せを分散させることは、幸せの循環をつくること。

ただそれを実現するには、いかに効率的に密度高い成果物を提供し、いかに一日に余白をつくるかが大事になってきます。

そして、それができている!と自分自身が思えなければ、周りからどれだけできていると評価されても、働かない時間は不安であり、心もとなく、気がかりな時間でしかありません。

そんなストレスが貯まるくらいなら働けばいい、そっちの方がストレスフリーだという声もあるかもしれません。ただ僕はリフレッシュしたり、勉強したり、働く以外で充実したインプット&アプトプットを積むことで、仕事のアウトプットも相乗的に上がると信じています。

だから罪もない後ろめたさに負けず、別のことにも精を出すことで巡り巡って自分にプラスが返ってくるならば、後ろめたかった時間は価値の高い時間に変わるはずなのです。


二つ目。「人からのお誘いを断ること」も僕は苦手です。

誘ってもらえるということは、自分を気にかけてくれていることだと思っているので、それを拒絶することになるのではと心配になり、気がかりになり、後ろめたさを感じます。

でも実はそれは"その時に限っては"大切にしなければならないことが他にあることを教えてくれているのではないしょうか。

「休みたい」という身体の声かもしれないし、「今は本を読みたい」という気持ちかもしれないし、「家族と一緒にいたい」という時なのかもしれません。それに気づけたら、きっと断って過ごす時間に対する後ろめたさ和らぐと思います。

人付き合いにおいては「あの人が自分を誘ってくれた」ことを忘れずに返すことが重要で、その時はYESと答えられなくても別の形で「自分はあなたのことを大切に思っていますよ」と伝えることを僕は大切にしたいと思っています。

改めて飲みにいってもいいし、何かちょっとした際に差し入れしてあげるでもいいし、もっとその人を喜ばせて親密になれる方法はたくさんあるのはないかなぁ。

だから、後ろめたさを何でもかんでも自責の念に置き換えるのではなく、ちょっと向き合って話し合うことを僕はこれからもっとトライしていきたい。そしたら、彼は心から望んでいるものを教えてくれる存在になって、友達のようになれるのではと考えています。

以上、後ろめたさと付き合うお話でした。

ではでは。

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