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ある日、消えた書き手に思いを馳せる


今から約5年半前、2014年10月18日。

最近、私が目にしたブログの中に、この日を最後に記事の更新が止まっているものがありました。

そのブログは、初めての記事が2013年8月3日に公開され、最後の記事が2014年10月18日で止まっています。

たまたま私がたどり着いた、1年2ヵ月どこかの誰かが続けたブログ。

正直、記事はどれを読んでも面白く、アタリでした。最新の記事(といっても2014年)だけではなく、つい過去の記事もさかのぼって読み込んでしまうほどです。

ブログの記事数自体は15記事ほどと少なかったため、私は一通りブログ内のすべての記事を読み終えることができました。

読み終えたということがわかったとき、とても寂しい気持ちになりました。それは、ずっと大好きで最新刊が発売されるたびに買って読んでいた漫画が、最終話を迎えて終わってしまったたときのような、あの感じと似ています。

また、私がそのブログの新たな記事を読みたいと願ったところで、もう二度と書き手によって記事が更新されることはないのだろうという虚しさもありました。

それらを感じるに充分なほどの残酷な年月を、最後の更新から現在までの約5年半という期間が表していました。

表向きは何事もなかったかのように、その更新の止まったブログが存在しているだけですが、そこには必ず消えた書き手がいます。

今、記事の更新が止まっているというその状態の裏には、それなりに書き手の歴史があるように思えます。

私にできるのは、書き手が記事の更新を止めるに至った背景に、思いをはせてみること。

もしかしたらそこには、彼(彼女)の意志だけではどうしようもなかった要因があったのかもしれません。

たとえば、、

稼ごうと一念発起してブログを続けた1年2ヵ月。

血のにじむような努力だけでは及ばない何かに阻まれ、打ち勝てずに泣く泣くやめていったのかもしれない。

あるいは、あらかじめ期限を定めていて、それまでに芽がでなかったためブログに折り合いをつけたのかもしれない。

これは考えたくはないが、不慮の事故や病によって無念を残したまま途絶えてしまったのかもしれない。

書き手が更新を止め、消えた背景には様々なことを想像できます。

そのたびに、私もひとりの書き手として身が引き締まる思いがします。

消えていった人たちの分まで、何かを残し続けたいと思うのです。


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2017年からブロガー始めました。複数のジャンルで運営しています。こちらは私の思考や経験などを枠にとらわれず書くつもりです。四国出身。ディッキーズの服が好き。