失敗の言い訳をすれば、その失敗がどんどん目立っていくだけです

「失敗の言い訳をすれば、その失敗がどんどん目立っていくだけです。」

英国の作家 シェイクスピアの格言です。


失敗するとすぐに、失敗の理由を探してしまいます。

「あのとき、こうしなかったから。。。」

「これがあれば、うまくいったのに。。。」

理由にでき得ることは、幾らでも挙げることができます。


挙がってくる「理由らしきもの」には、共通点があります。

「自分以外」のものが対象となっていることが、共通点のように思います。

間接的に、「自分に非はない」と言いたいのかもしれません。


失敗となり得る原因は、色々な要素が絡まっている部分があり、一概に「自分に非がある」とは言えないとしても、「自分に非がある」という前提でのアプローチが必要な気がしております。


「自分に非がない」のであれば、失敗しても良いと解釈することができるのだろうかと疑問に思ってしまうのですが。。。


何かあると、必ず「責任転嫁」する人がいる。

自分に非がないことを証明するために、スケープゴートを探したりもする。

他人に責任を押し付けること自体、論外ではある。

が、「自分に責任を押し付けられる場合」を考える必要がある。


自分がスケープゴートにされた場合、どのように対処すべきなのだろうか。

「目には目を歯には歯を」

やられたら、やり返すのが正解なのだろうか。

やり返すのであれば、何倍返しが正解なのだろうか。


愚問でしかない。

やり返したところで、何の解決にもならない。

やり返したところで、言い訳を並べるだけに終始するのだろう。


自分を守るための筈の言い訳は、自分を気付つけるためのものにしかならないのではないだろうか。

「目立ってしまった失敗」は、清算されることなく、失敗のまま、引きずってしまうことになるのではないだろうか。


時間が経つとハッキリすることがある。

「あのとき、こんな失敗をした。」

「あんなことをして失敗してしまった。」

笑いながら話せるようになる時期が来る。

笑いながら話せる「失敗」は、言い訳をせず、しっかりと向き合ったことで、清算できた「失敗」なのではと感じている。


逆に、自分に都合の良い「言い訳」によって対処した失敗は、いつまで経っても失敗のまま、自分を苦しめ続けることになるような気がする。


「言い訳」は、聞いている方も不愉快である。

「説得力は全くない」と断言しても良いと思っている。

言い訳は、ポジティブな何かを生み出することはないと考えている。


この名言により、「失敗を言い訳すること」が問題ではなく、「言い訳することが失敗」なのではないだろうかと思わされた。


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