急がなくていいよ

https://youtu.be/LfvugyvBikU?si=l2DBZbOJfQAbwT63

 久しぶりに、心を穿たれるような音楽に出逢いました。
 それはこれまでに無かった色を纏った音で、柔らかなボーカルを包み、優しい言葉を運んできます。こんな曲を作りたいと切に思ったのは、ヨルシカのノーチラスという曲に出逢って以来、実に4年ぶりのことかと思います。

 今年の春が過ぎるころ、それまでずっと元気でいた祖母が、突然の脳梗塞で他界しました。脳の奥底で実感もないままぼんやりと考えていた「死」が、それ以来、脳の少し手前の辺りで燻っています。
 万人に平等に訪れるものと頭では分かっていても、目の当たりにしないと分からないもの。勿論、「万人」には自身も含まれている実感を、春からずっと抱えています。

 私は10代の半ば(高校生だったので半ば過ぎ?)、友人のあるベーシストに誘いを受けて初めて、自分たちで曲を作りリリースする、いわゆる「外バン」に参加しました。
 その出逢いが鮮烈でした。
 そのバンドのボーカルが、自他ともに認める天才であり、ひとたびステージに立つとライブハウスの全員が一瞬言葉を失うような、そんな凄みが彼女にはありました。
 そんなバンドで日々ライブをこなす中の、あるブッカーの一言を、今でも鮮明に覚えています。
「バックバンドになるなよ。」
 私はギタリスト兼キーボーディストとして在籍していましたが、私をバンドに誘ってくれたベーシスト、バンドに加入することで出会ったドラマー、そして私のメンバー全員がそれを認めつつも考えないようにしていた、確信を突いた一言だったと思います。
 高校生とは思えないカリスマ性を持ち合わせたボーカルを、実力が及ばないただの高校生レベルのメンバーが持て余している残念なバンド。恐らくボーカル自身も同じように感じていたようで、実際に、解散後により実力とセンスのあるメンバーとすぐにバンドを結成していました。
 ともあれ、当時私が在籍していたバンドも地元では多少名が知れて、後のメジャーバンドたちのブッキングライブにオープニングアクトとして抜擢されたり、コンテスト形式のライブで結果を残したりと、今思えば、凡人にしては成功と呼んでもいいんじゃないかと感じます。

 しかし、「バックバンドになるなよ」という言葉を受けた日からずっと、心にしこりが残っているのを感じていました。あの成功はボーカルあってのものであり、自身の力によるものではなかったのは明らかでした。
 そんな時期を経て、自分の力で成功を得るため、音楽を志しました。

 結果として今では名声への欲も手放し、自身を納得させるためだけに音楽を続けています。
 そんな時期に身近な人の死を目の当たりにし、終わりは突然に、呆気なく訪れるものと実感して、名声を欲していた頃の焦りが、ほんのちょっと頭をもたげました。

 欲は失せたとはいえ、素晴らしい音楽に出会った時、未だに「こんな曲を作りたい」と望むことは辞められずにいます。
 いつ死んでもいいように、今の時点で自分が納得できるものを創りたい。それは言い換えれば自分なりの「終活」であると感じていますが、それを望む通りに叶えることができるのかと不安があります。

 これまで憧れたアーティストは様々で、その音楽性も様々なものでした。それら「終活リスト」にまたひとつ、新たなバンドが名を連ねたのです。
 これまで出会ったことのなかった音楽をもって、私の脳の真ん中あたりをぐるぐると巡っています。こんな時に出逢った曲の題が「No Rush」(「急がなくていいよ」)というのが何ともアイロニカルといいましょうか、これも一つの運命なのか、と感じざるを得ません。笑

こうして文字に書き連ねるのは、時が過ぎる中でこの思いを忘れないため。備忘録のようなもので、他人様に勝手に私の脳内について語って聞かせるのはおこがましいこととは分かっているけれど、「そうか、こいつは普段そんなことを思いながら音楽を聞いているんだな」と、共感してくださる方がいれば、いつか一緒に酒でも飲みましょう。

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