日々の形とは

「それじゃあ、来週の土曜日ね」
という口約束を、掌のスマホのカレンダーなんて曖昧なものだけで安心しきってしまっていた。
そんな脆いものじゃなく、たとえば、夜の次は朝が来るみたいに信じてしまえるものの方が良い。
まあ、それだって朝が来るまで"絶対"ではないんだろうけれど。
それにしたって私とあなたの関係なんて比にもならない程に曖昧で、脆くて、どうしていつ千切れてしまうかも分からないような紙切れを掴んでいただけで満たされていたのだろうか。あの時の自分に教えてやりたい。
どうせ、人が死んだニュースに1ミリたりとも動かない心になんて何か届くとも思えないけれど。

日付が変わる3分前から時計を眺める。
普段ならば、戻らない時の流れを憂いて増えてゆく数字を見つめるものだが、この3分間、そして23:59:59の6つの数字が一斉に0に変わる瞬間だけは、次の1秒が待ち遠しい。
眠る時だって、無性に眠りたくなくなって時計を眺めていると、心が安らぐ時がある。日本語には永眠なんていう言葉があるが、それを意識しすぎたりしている。

私がこんななのだ。きっとあなたもそうだ。
私は私の世界がいつ止まってしまうか分かりやしないし、あなたの世界なんて尚更だ。どちらかの"それ"が起こった時点で変わってしまう私たちの関係。1つの世界について憂いているだけでも心はいっぱいいっぱいになるのに、2つともなると当たり前だろう。2倍なんだもの。

とにかく、どれだけ足掻こうが安心しきってしまえることなんて無いのだ。きっと、生きるってそういうことだ。
側にいた時には気付きもしなかった口癖、足音、生活のルーティン、その全部が今になって恋しいように、無いものにばかり心は吸い寄せられる。
人間、恵まれていることになかなか気付かないのと同じで、つくづくないものねだりな生き物だなあ、と愛おしくなる。

私は人間臭さが好きだ。あの時ああしていれば、なんてのはまさに愚かで馬鹿で、だからこそ好きだ。
今立つ道を選んだ自身を否定してしまう、それこそを後悔すべきなのに、それに気付かない。それゆえ生まれる正しくない後悔に、私たちは突き動かされている。

突然、人が恋しくなるのだ。
弱く、脆いそれらの存在を、同じく弱く脆い私に守ることなど出来るはずもない。
出来ることは一つ、今を数えることだと思う。
尊いあなたを尊ぶ私の気持ちがあれば、それがまさに、私に出来る最善だと思う。
昨日通販で買った服が明日届くのも、次の休みに焼肉を食べるのも、今夜ビールを飲むのも全て楽しみだし、日々の支えになっている。当たり前だ。
でもそれだけじゃ足りないのだ。
心配性な私は、心配が故に未来の決め事を作る。でも、それは同時に不安にもなってしまう。もし叶わなかったら、なんて思いが過ることもしばしばある。そんな時、やっぱり人が恋しくなる。
あなたからすると不思議、ともすれば不気味ですらあるのかもしれないが、あなたを前に涙が浮かんでくるのだ。
この気持ちはなんとも言えない。感謝か、不安か、強いていうなら愛おしさだろうか。
あなただけじゃない、私たちの在るこの型の脆さが愛おしくて、それを儚いものと抱きしめたくなる。この美しさが分かるあなたでいて欲しいと、心から思う。
「それじゃあ、来週の土曜日ね」
と言って、その美しさに気付くあなたでいて欲しいと、心から願う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?