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産後パパ育休の記録⑤ 夫婦で育休を取ることとお化け屋敷

繰り返しの日々

 妻子が退院して帰ってきてからは、当然ではあるが子供が中心の日々が始まった。子供のペースに合わせて時間が過ぎていく。実際の日々はこんな感じ。

 「子供泣く→オムツ替え&授乳→ゲップ→子供寝る」このセットを2時間~3時間に1回、1日に10回くらい繰り返す。そして、このセットの合間に家事やその他雑務をこなしていく。

 1日に10枚も20枚も使うオムツはすぐにゴミ袋にたまるので、ゴミ出しの頻度は高め。授乳に哺乳瓶を使えば洗い物も増えるし、哺乳瓶は哺乳瓶用の洗剤で洗うため、他の食器類と一緒には扱えない。わざわざ哺乳瓶のために専用のスポンジと専用の洗剤で洗い、消毒液につけたり電子レンジで消毒する。

 ゲップも、慣れてきたら「出なけりゃ仕方がない」「後で屁として出てくるだろう」と諦められるようになるが、はじめのうちは「ちゃんとゲップさせてやらないと授乳後にミルクを吐き出して、それがノドに詰まって、最悪は死ぬ」とか聞かされているため、なかなか出ないゲップを必死で引き出そうとして時間ばかり過ぎていくし、子供もなかなか寝付かず時間が浪費される。

 授乳後にゲップを出させようとしていたら、子供は高頻度で飲んだミルクをだらりと吐き出す。これ自体は特に問題がなく、そういうものらしい。しかし、そのたびに新米父母は心配になるし焦るし、心が疲弊する。吐くのは正常なことだと聞いていても、でもこの吐き方は異常なんじゃないか、とか思うし、常にどこかに子供が死んでしまうのではないか、という恐怖が付きまとう。

 子供がミルクを吐けば服だって汚れるし、着替えさせる。洗濯物は増えるし、哺乳瓶と同じく子供専用の洗剤などで衣服を洗うので、大人の日々の洗濯物とは一緒に洗えない。洗濯の手間は「ちょっと洗濯物が増える」という程度ではなく単純に2倍になるうえに、子供服は小さくて干しにくかったり畳みにくかったり。

 そして大人二人は寝不足である。「子供泣く→オムツ替え&授乳→ゲップ→子供寝る」この作業は昼夜問わず強いられる。日中働いている人のように「朝起きて一日が始まり、夜に寝て一日が終わる」というような一日の境目であったり、一日の始まりや終わりが新生児の育児には全くない。だんだん、何日経過したのかもわからなくなってくる。

 大人が寝る時間といえば、もちろん子供が寝ている時間になるわけだが、子供が寝ている時間は上記のように家事や雑用に追われるので、下手すれば気づけば子供がひと通り寝て起きているなんてこともある。

 せっかく夫婦で育休を取ってるんだから、交代でやればいいじゃん、とも思うが、残念なことに私は母乳が出ないので、完全に「私のターン」と「妻のターン」を分けることは難しい。必然的に対子供の作業は「妻のターン」が増えるので、私はその隙に家事に徹する。

 これらを毎日繰り返す。毎日繰り返すというか、1日に何度も繰り返し、それを更に毎日繰り返す。

 

といっても、思っていたより辛くない日々

 しかし、想像していたような「目の回るような忙しさ」というわけでもなかった。毎回とは言わないが、子供が寝たときにゆっくりコーヒー(妻はデカフェで)を淹れることもあったし、慣れてくれば夜中に子供が起きても私か妻のどちらかはそのまま寝て、どちらか一人で子供の世話をすることもできた。そうすれば、まとめて3~4時間寝られるし、体も随分楽になる。

 この「思っていたより楽」の理由は、当然だが作業の分担だ。我が家は完全母乳にはこだわっていないが、できる限り母乳で、とは思っているので、必然的に子供の対応は妻の負担が大きい。その分、私は家事を担当した。

 炊事、洗濯、掃除はほぼ私がこなした。その間に妻が子供の相手に専念してくれた。自分で言うのもなんだが「料理ができる男でよかった」と本当に思った。世の中の男性諸君は育休を取る前に料理のスキルを身につけておくべきだ。

 「家事」のなかで「料理」が占める割合は大きい。ただ作るだけじゃなく、何を作るのか考えて、買い物をして、作って、片づけて、在庫の食品を把握してと、実は結構やることが多い。

 更に言えば、その料理を食すのは自分だけではなく、妻も食す。そしてその妻は大出血を伴う大仕事を終えて数日目の女性である。素人でもわかるが、あの出血量と仕事量と疲弊度は全治数日なんていうものではない。間違いなく全治に要する期間は月単位である。そんな大怪我を負った女性にふるまう料理だから、ただ腹が膨れれば良いなんてわけがない。栄養バランスに気を付けなければならない。

 さらにさらに、その料理は妻の体を経て、間接的に子供にも届く。妻の怪我の治療と同時に、新生児にも渡るであろう栄養を考えなければならない。

 血を失った妻のためには鉄分。怪我の修復や母乳のためには良質なたんぱく質やカルシウムも必要だろうし、ビタミンなども当然必要。また、病院からは「DHAなどを摂取できる魚を食べる頻度を増やしたほうがいい」とか言われていたので、肉の日と魚の日を交互に献立を考える。そうなると、いつも行くスーパーだけではなかなかうまく料理のローテーションが決まらないので、肉の日はあのスーパー、魚の日はあのスーパー、と買い出し先の使い分けも必要だ。

 妊娠期間の10か月間、女性が大切に子供を胎内で育てている間、正直に言って男性にやれることは少ない。であれば男性は料理をやってみるといいと思う。それが育休初期に「思ったより楽」と感じられるための一歩になる、と私は思う。

買い物が息抜きになる私と、外出できない妻

 妻は医者から「産後ひと月はできれば外出は控えて、できるかぎりの安静を」と言われていた。これは妻に限った話ではなく、一般的な話らしい。それもあって、買い物は基本的には私の仕事だった。

 育休中はその買い物の時間が私にとっての一人になれる時間であり、息抜きの時間になった。買い物の途中で少しだけ公園でアイスコーヒーを飲んだり、少し遠くのスーパーへ散歩がてら行ってみたり。

 妻はそれができない。いつ息抜きできるのだろうかと思い、妻に聞いてみた。そしたら「寝る時間が息抜きだから、とにかく寝たい」ということだった。

 となると、子供が寝たら妻も寝るべきである。子供が寝ている間に処理できる類の家事は、必然的に私の仕事となるわけである。

 男性の育休とは、育児のための休暇でもあるが、妻の介護のための休暇、という側面が、もしかすると半分以上を占めるのかもしれない。

夫婦での育休取得はお化け屋敷に似ている

 育休初期に「思ったより楽」と感じたのは私だけでなく、妻もそうだったらしい。二人で作業を分担できるという要因のほか、もう一つそう感じるための要因があり、育児や家事の分担作業より、こちらの要因のほうが重要だと思う。

 それは、お互いが「一人ではない」と感じられたことだ。

 お化け屋敷に一人で入ることはできないけど、信頼できる人と二人でなら入りやすい、なんて人は少なくないと思う。夫婦で育休を取って育児にあたることは、それによく似ている。

 二人でお化け屋敷に入ったところで、驚かされる回数は変わらない。お化け屋敷の仕掛けは減らないし、順路の長さも変わらないし、お化けの勢いも変わらない。育児もそう。二人で育児にあたっても、子供の泣く回数も、夜中に起こされる回数も、家事の煩わしさも、子供の成長する速度も、何も変わらない。

 しかし、二人でならお化け屋敷に入りやすいように、育児も二人でなら心理的負担がかなり減る。

 「オムツのつけ方はこれでいいかな?」「いいんじゃない?」
 「ミルクの温度はこれくらい?」「もうちょっと冷ましたほうがいいかも」
 「母乳を吐き戻しちゃった……」「でも、元気そうだし体重も増えてるから大丈夫なんじゃない?」
 「夜中に起こされるとさすがに眠いね……」「うん、眠いなぁ」

 こんな会話が二人ならできる。何も解決していない会話だけど、確実に心は軽くなる。

 家事や育児の物理的な「作業」は分担できる。100ある作業は夫婦二人で50ずつに分担したり、60と40にしたりできる。でも、作業の総量は100から変わらない。

 でも、心の負担は総量すら変わる。一人だったら100の心配やストレスがあったとしても、二人だとそれぞれ10ずつで合計20程度になったりする。

 育児に慣れない最初の一か月。二人でお化け屋敷に飛び込むがごとく育児に取り組めたからこそ、心の負担は半分以下だったと思うし、心の余裕は倍以上だったと思う。

 一人でお化け屋敷に行かさなくてよかったと、育休が終わった今になると強く思う。

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