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新卒4年目で共産主義から資本主義に飛び込んだ件について

記念すべき第2回目の投稿は私のキャリアに関して投稿しようかと思います。

上記第1回目の投稿でnoteでの発信の方向性を決めたので、第2回目はキャッチ―なタイトルですが、現在の自分の仕事観や考え方の根源になっている「私が歩んできたキャリア」に関して記そうと思います。

就活時代

就職活動のお話からしますと、誰でも行けるような国公立大学に行った自分は何も考えず就活に取り組んだわけですが、当時下記のテーマを掲げ就職活動をしていました。

・ある程度名の知れた大企業であること(そもそも自分が知らないから)
・取り扱うサービスやプロダクトに少なからず興味関心が持てること
・会社が社会に与える影響度が大きい
・学生時代の留学経験が生かせる

なんとまぁ、、、

今考えると非常に稚拙ですね。笑 上記テーマに沿って大手のメーカーや商社、マスコミ関係ばかり受けていたと記憶しています。

まさにレールに乗っかった就職活動。

就活を意識し留学時代になんとなくボストンキャリアフォーラムに参加→危機感を覚えながら就職活動を開始→大雪の中説明会に参加→自己分析してみる→履歴書を書く→テストセンターでテストを受ける→ESを作成→1次面接→2次面接→最終面接

そんなこんなで内定を頂いたのが、日本最大のファッションECモールZOZOTOWNを運営する株式会社ZOZO(当時株式会社スタートトゥデイ)でして、入社を決意したわけです。その他にも大手商社や、メーカー等の選考も進んでいましたが、就活を続けるのが面倒だなという思いもありZOZOへの入社を決めました。

もちろん、ZOZOにも惹かれた理由があって、

・働いている人達が幸せそう
・社長がカリスマだった
・なんとなく面白そうなことをしでかしそうな会社
・面接の待機場所ですれ違う社員全員が「こんにちは!」とあいさつしてくれた
・人事部(ZOZOでは人自部と表記)の方々が他社と比較し一番自分という人間を見てくれた気がした

みたいなことを思って相思相愛で入社しました。

新卒でZOZOに入社

よく「新卒入社した企業にはとりあえず3年いろ!」と言われていますが、私のそんな3年間のお話です。

最初に配属されたのは物流を管理する部署。その中でも入荷と出荷を一手に担う、東京ドーム2.3個分の敷地面積を有する倉庫の中で、5分の3以上という広い面積を管理するロジスティックスの要の部署に配属されました。

「新規サービスに携わりたい」とか「新しいサービスを立ち上げたい」と御託を並べていた自分に対して、当時の取締役の方から

「ZOZOのサービスに携わるならまずは物流を知りなさい!」

と言っていただき配属されたのを覚えています。配属されてからはとにかくがむしゃらに働いていました。正社員なのにシフト制で、毎年三が日はセール(3日間だけで年間売り上げに対する数%以上を占める)の為に夜通し働き、日々数百人単位のアルバイトさん、派遣さんの管理をしながら日本最大級のECモールの物流のダイナミックさを肌で感じながら働いていました。

当時仕事で大切にしたことは大きく区分すると下記3つありました。

①自分の部署に関連する数字(毎日の在庫数、入荷点数、出荷件数、出荷点数、作業効率、ミスの件数)を完全に把握しておく

②関わりのある部署のフローをすべて把握しておく(イレギュラーが起きた際の全体最適化の為)

③部署内の人間関係を把握しておく(数百人も働いていると全体でみると配置するポジションによって効率が大きく変わってくる)

上記3つ以外にも細かいことを言えば仕事において大事なことをたくさん学びながら、変な意味で余裕が出始めた際に感じていたのが、

「この仕事って自分である必要あるのか。」

というものでした。言葉を選ばないで言うと「新規サービス」とか、「自分がしたことで社会に価値を与えたい」というホワイトカラー的な職業に憧れて入社したのに、ブルカラー的な仕事をしていていいのだろうかと自問自答し始めたわけです。(※語弊のないように言っておきますと、現場作業に直接従事する人に対してはとてつもなくリスペクトがあります)

そんな中で幸運なことに社内公募で「経営推進部」という全社的な予算を扱うホワイトカラー的な部署に異動をすることになります。

経営推進部に異動

実は結論から先に言うと経営推進部に異動後、1年たたずして現在所属する株式会社BLAMへの転職を決意します。

異動後は、全社部署の予算策定、予実管理、全社データを集め分析した上で毎月の取締役会・毎期の決算説明会の資料作成などをしていました。取扱高2700億円を超える会社のダイナミックさを、物流という現場で肌で感じた上で、異動後は様々な部署に関する数字をマクロに見ることができたのは個人的に面白い経験でした。日々新しい仕事を覚えながら自分に足りないスキルを身に付けようと、必死で仕事をしていたのですが、時間がたつにつれ思ったのは、

「ここに一生いても、上の人を抜けない!」

「今会社が潰れてZOZOという箱がなくなった瞬間、自分は生きていけるのか、家族を養っていけるのか?」

という思いでした。

周りの上司は中途で入ってきた優秀な人ばかり。前職で様々な経験をされてきている。当時の僕からすると自分の1000倍くらい仕事できるし、最強の戦士たちでした。「2:8の法則」とよく言われますが、まさに2700億円の取扱高を誇るこの会社を部署の先輩たちが数人で回していると感じていました。

その上で、ZOZOという会社はすごく優しい会社で新卒の自分を大事にしてくれます。自分の仕事が遅くても一度も詰められたことはないし、しかも平等の精神がありボーナスもみな一律です。自分なんかより何十倍もの責任と価値がある仕事をしている上司と、自分のボーナスが一律なんです!

「ボーナス出てラッキーだね!」って言っている同期もいましたが、いつも自分は恥ずかしい思いでいっぱいでした。

そんな中で、

・自分の市場価値を上げたい→今の共産主義的な環境だと難しい→資本主義という社会の波に揉まれる必要がある→最終的には自分のスキルだけで飯を食えるようになりたい

と漠然と思い始めていました。

そんな時にたまたま小中高の幼馴染である浅川から連絡が来たわけです。

「うちの会社(株式会社BLAM)にこない?とりあえずうちの社長と会ってよ!」

そんな連絡があり、なんとなーく会社に遊びに行って、創業メンバーと飲みながら色々話を聞いていく中で、

「自分のスキルだけで飯を食えるようになりたいけど、デジタルマーケターって市場価値高めやすいんだ」

「BLAMの人達の考え方好きだわ」

「未経験で採用されるとしたら、すぐに成果出さないといけない環境だな」

「IT業界であればZOZOの知見も生かせそう」

「社長熱くておもろいな」

と自分の当時の状況・考えていたこと等々、複雑な形をしているパズルのピースがうまくはまる環境であるなと思い転職を決意したわけです。(細かい描写は省きます笑)

BLAMに転職

BLAMに転職後はデジタルマーケティングのコンサルタントとして働き始めます。

一言で言うとZOZOにいた時と180度一変して「刺激的な日々」でした。

デジタルマーケティングに関してはほぼ未経験であった自分は、まずは用語から勉強し、実際に作業で手を動かし、チャレンジングな環境を用意してもらいながら圧倒的に働きました。時には泊まり込みで、朝まで徹夜してでも作業していました。「絶対に社内でも信頼を勝ち得るぞ!今担当しているお客さんに対しても成果を出すぞ、信用を勝ち得るぞ!」そんな思いでした。

そして何より刺激を実感できたのが「自らの価値を社会に対して創出し、対価を頂くことができた」ことです。

「仕事なんだから当たり前のことだろ!」と思う方も多いかと思うのですが、元々ZOZOにいた頃は自分が最悪働かなくても毎日数億円お金が入ってくる仕組みができていて、周りの環境含めそういったことを実感しづらい環境でした。

そんな共産主義的な環境に比べ、転職後は自分が成果を出さなければ簡単に淘汰されていってしまい、ましてや自分だけではなくBLAMのメンバーが飯を食っていけなくなる状況になってしまうこともあり得ます。まさに資本主義。

「お金は降ってくるものではなく、自分が成果を出して頂くもの」

そう思いながら今でも働いています。

おかげさまで今では「山坂さんだからお願いしたい!」とお客様に言って頂くこともあり、ZOZOにいた時では感じられない充実感を得られています。

これからは個人単位ではなく、株式会社BLAMとして複業支援サービス「カイコク」をはじめ、デジタルマーケティングの分野から社会に対して大きな波を生めたらと個人的には考えています。

新型コロナウイルスの影響でこれまでと全く違った状況だからこそ社会全体が「とりあえず一歩踏み出して進んでいく」そんな一助にBLAMがなれたらいいなと思っています。


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