見出し画像

諦めと期待の基準を都度微修正してもバチは当たらないよね

こんにちは。

ふと、ありゃりゃ、と思ってから、気づいたことをまとめます。

諦めと期待の基準をいいように都度修正してもバチは当たらないよね

もう諦めたと言いながら、だらだら期待し続けた自分と不意に向き合ったとき、情けないって、悲しくなったんです。

おちゃめだなとか、可愛げとかって、割り切れたらいいんですけどね。そこまで寛容じゃなかったみたいです。

甘いなあ、ほんと。

期待って、一度掴んだら明確な手応えあるまで手離せないんですよね。プラスとマイナス、どちらでもいいから未来へのヒントが欲しい。

諦めって、中途半端な状態ではキッパリと採用しにくくないですか。プラスやマイナス、どちらでもいいから偏ってくれないかな。

ゼロか百か、白か黒かの環境ばかりじゃないから、むしろそちらの方がマイナーだから、意思決定の基準は都度微調整するくらいがちょうどよくて。

あの人とは、いつまでに連絡無ければもう終わり……って思ってたけど、こっちから連絡してみちゃおうか。その反応次第にしちゃおうか。

この夢は、年内に此処まで達成しなかったら年末を引き際とする……はずだったけど、取り組んでて楽しいから、飽きるまで続けちゃおうか。外枠を趣味に変えちゃえ。

とかね。

相手や対象に基準を任せたら、楽かもしれないけど、振り回されてしんどい。
相手の基準は、こちらの期待や諦めの本質をありのまま正当に判断してくれるだろうか。

自分主体だと基準がブレやすいかもしれないけど、いかように変化させても責任は自分でとれるし、ツケだって回ってくるのは自分。これは私の人生だから、修正はの舵取りと匙加減は自由自在。

ならば私は、自由でいたい。
期待と諦めを、私基準でとりまとめたい。
ねえ、期待くん。ピグマリオン効果とやらもあるようだし、期待した方が伸びるよね、私って。
ねえ、諦めさん。ストレス溜めないためにも気軽に軌道修正していいよね。

これからも寄り添ってね。二人仲良くね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?