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できないほうがよいという考えもある

「料理ができたらいいのにな」とか「ピアノが弾けたらいいのにな」と思ったりすることはありませんか。「できたらいいな」は、誰もが少しは考えたことがあるのではないでしょうか。

自分で10点の料理が作れるのなら、テキトーな食材を使って毎日美味しい料理が食べられる。ハッピーですね。ただ、ここで忘れてはいけないのは、10点の料理が作れるということは、同時に10点の舌や鼻を持っているということです。

料理ができない頃は3点の料理を食べても普通に満足できていたのに、10点の料理がつくれるようになると3点の料理に満足できない可能性がある。3点の料理に対して「どうしたらこんなマズい飯つくれるんだ!」と憤りさえ覚えるかもしれません。

ピアノだってそう。ふらっと目の前を通ったイベントステージ。ピアノが弾けない頃はピアノの演奏が心地よいなと思えていたのに、自分で10点のピアノが弾けるようになったら「よくもまあこんな下手くそなピアノを公共の場で自己陶酔しながら演奏できるよな」と不快になってしまうかもしれないのです。

つまり、自分ができてしまうということは、ハイレベルな手だけでなく、ハイレベルな感覚を兼ね備えているはずなんです。

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