人間という動物の今
言葉を使わなくとも、ある程度の単純なコミュニケーションは成立すると思いませんか。その気になれば、日常生活のレベルではジェスチャーや表情や鳴き声で伝えられるのではないでしょうか。現に、人間以外の多くの動物ができているのですから、きっとそう難しくはないでしょう。
恋愛1つ考えてみても、手をつなぐことや抱きしめること、キスをすること、セックスをすることなど、言葉を介さなくとも意外とどうにかなりそうです(言葉を介さないほうがよいこともありそうです)。何なら、それがパートナーの特権として認められてしまっています。
一方、「会話」や「告白」は、パートナーでなくとも許される行為です(成功するかは別ですが)。言葉のほうが、中心から見てもっと遠くにある。
誰とでも言葉は交わすくせに、誰とでも手をつないだり、抱きしめ合ったり、添い寝したりしないのはなぜでしょう。
言語と非言語のこの有様を考えたときに、そもそも人間のコミュニケーションに言葉は必須ではなかったのではないかと思うのです。かつては、言葉もなかったわけですから。
人類は、言葉を獲得したことによって複雑な情報を共有し、残すことができるようになりました。言葉によってつくりだされた「意味の場」が生まれたのです。
「税込385円」という言うとき、3とか8とか数字の概念があって、「円」という概念とそれが価値として機能する場があって、消費税という税の概念とそれが機能する場があって、割合という概念があって10%という設定がきちんと機能する場がある。
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