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脳内議事録

認識の解像度を上げるための思索の旅の記録です。エッセイ、トーク、音楽などさまざまなかたちで頭の中を晒しています。…本音は傷つく、高くつく。
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2020年8月の記事一覧

成るより、在る

成るより、在る

「在る」ことを忘れ、「成る」ために四苦八苦している。

「成る」は何かに達する、未来の状態を指す。「在る」は、今この瞬間この状態を指す。

「成る」よりも「在る」を優先すべきだと私は思う。その理由を説明していく。

消費者的な「在る」「立場が人をつくる」と言うように、成るからこそ在るというのはよく分かる。けれども、本当にそれで良いのだろうか。

たとえば、起業家に成るとか、芸術家に成る。起業したか

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「分かる人にだけ分かればよい」は身内にしか分からない

「分かる人にだけ分かればよい」は身内にしか分からない

あなたは全人類一人ひとりに伝えたいことがあるだろうか。おそらく「No」だろう。

では、あなたの思いは、まったく誰にも伝わらなくてよいと思っているだろうか。これまた、おそらく「No」だろう。

極端な質問は、答えやすい。

伝えたいわけでも、伝えたくないわけでもないのなら、「Yes」は一体どこに、どのあたりにあるのだろう。あなたはどれぐらいの人たちに、どれぐらいの影響力を持って伝えたいのだろう。具

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人間関係に一喜一憂しないために

人間関係に一喜一憂しないために

人間関係に一喜一憂することを幸せに感じる人はこの文章を読む必要はない。ジェットコースターのような気分の浮き沈みこそが人間の醍醐味だと思う人にとって、一喜一憂することは正しい。

しかし、人間関係の出来事に一喜一憂することが苦しかったり、私のように「一喜一憂する態度はとっ散らかった部屋のようだ。まるで精神がととのっていない」と一刀両断してしまう人は、人間関係に一喜一憂しないために1つ参考にしてほしい

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「言わないと分からない」と言う人に限って、言ったら傷つくことについて

「言わないと分からない」と言う人に限って、言ったら傷つくことについて

わざわざ言語化するまでもないなと思っていることが、頭の中に泉のように湧いてくる。

この文章もまたその類である。言語化しなくてよいことをわざわざ言語化している。

ここにはクレームが来ても大丈夫。

「不快にさせてごめんなさい。でも、あなたに向けて書いた文章ではないから二度と読まないように気をつけてね」と伝えることができる。

一方、日常生活ではわざわざ言語化するまでもないなと思っていることを言語

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間接的に否定する

間接的に否定する

「あの飯屋はまずい。1000円の価値はない。むしろ、1000円もらったって行きたくない!」

そんな直接的な否定をする場面は多くないかもしれない。けれど、私たちは日常的に否定しまくっているように見える。間接的にではあるが。

何かを選ぶということは、何かを選ばないということである。選ばなかった何かについて、いちいち説明を付け加えることはめずらしい。

たとえば、持ち家一軒家を大絶賛するとしよう。

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テキストコミュニケーションの限界

テキストコミュニケーションの限界

人間の感受性は複雑だ。

対面で「さよなら」と言うのと、テキストで「さよなら」と言うのでは感じ方が違うらしい。どちらも同じ私という存在から繰り出された「さよなら」にも関わらず。どうやら、情動のコミュニケーションにテキストは向かない。

合理性が求められる場面、特に事実情報はテキストとの相性がよい。たとえば、報告や連絡は、テキストのほうが端的に伝わる上、非同期、情報が残るといった意味でも優秀だ。ちょ

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孤独推し

孤独推し

私は孤独を推している。孤独とは一体何だろう。

頼りになる人や心の通じあう人がなく、ひとりぼっちで、さびしいこと。(大辞林)

こんなのはまったくダメだ。日本語を調べるときには大辞林をよく活用しているが、「孤独」の意味があまりにもメンヘラだったので、頼りにならないし心が通じ合わない。二度と大辞林で検索すまいと今思っている。

私の「孤独」の定義はこうだ。

自分や物事と一人でじっくり向き合う時間。

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デジタル断捨離

デジタル断捨離

物がとっ散らかっている部屋は情報量が多過ぎて疲れる。 私はミニマリスト的な態度で、物を増やさないように強く意識してきた。極端に物が少ないというわけではないが、それなりに整えてきた。

ところが、ふと手に取った板状のデジタルツールに愕然とした。全っ然スマートじゃない。中身がとっ散らかりまくっている。アプリが画面の中にひしめき合っている。中には半年に1回も開かないようなアプリさえある。情報量が多過ぎて

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システムの半歩外側を生きる

システムの半歩外側を生きる

人は、システムの中にどっぷり浸かると、システムの外側が見えなくなる。

ここでは、ルールのような具体的な強制力のあるものだけでなく、常識や風習のような私たちを囲い込もうとするよく分からない秩序もシステムに含めて考える。

「システム、変えていいよ」と言われても、システムの中に浸かっているのだから何をどう変えていいのか分からない。もしくは、もっともらしい屁理屈をこねて個人的な理由でシステムを変えたい

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義務的な成長について

義務的な成長について

成長至上主義の人は大変だろうなと横目に見て思う。成長し続けることは一見美しい。でも、成長し続けるという義務を自分に課している以上、たとえ社会的に成功しようとも、自分で自分を自分の奴隷にしているように私には見える。

「成長しよう!」と気張って成長している時点で、成長すること自体に無理矢理感がある。「よーし、身長を伸ばそう!」と頑張って牛乳を飲みまくっている生活は何だか不自然だ。

スランプ

スランプ

今日、書きたいことはない。

「それを言っちゃあおしまいよ」と思いながらも、書きたいことが珍しく本当に何もない。

パターン認識というライフハック

パターン認識というライフハック

私たちは経験から学習することができる。火は熱い、とか。さらに、もっと複雑な情報処理もできてしまう。雑多な情報が絡み合う状態からある一定の規則や意味を見出す。人間はパターン認識が得意な動物だ。

突然、キレ始める人。

最初は驚いてしまうけれど、1年一緒にいて、よく観察すれば「だいたいこのパターンで怒っているんだね」ということが分かってくる。

沸点に至るまでは突然かもしれないが、トリガーとなる何ら

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勝てるゲームと勝てないゲーム

勝てるゲームと勝てないゲーム

友人の庭仕事を手伝ったことがこの夏1番の思い出になりつつある。それほどまでにこの夏は新しい体験ができなかったとも言えるが、庭仕事から学ぶことが多かったのは事実だ。

庭仕事といえど「庭師のアシスタントをする」といったガチの仕事ではなく、素人集団がミッションだけ与えられて、各々試行錯誤しながら雑草たちと向き合うという自由度の高い作業だった。

作業が始まってしばらく経つと、誰から指示があるわけでもな

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ある限定的な場面において

ある限定的な場面において

「寿命を縮めてでも食べたいものを食べたいだけ食べる!」

そうした信念レベルのものを除いたら、おおよそのことは「ある限定的な場面において」という大前提の上に成り立つ。