人を信じるということ

何日か前に芦田愛菜さんが信じることについて語っていて話題になったらしいので便乗して私も信じることについて書いてみようと思います。

私が思うに、信じる(ここでは人を信じること)には、2つの条件があります。

①将来、信じる人が自分の「ある基準」を満たすことに疑いがないこと
②見えていない、分からない部分を諦めること
です。

まず、①から見ていきましょう。

まず、大前提として信じることは未来のことを表現しています。

まだどうなるかわかっていないことを、こうなると予想しているわけですから、未来のことになります。

そして、自分の「ある基準」を満たすということですが、これは、この人ならこれができる!と思う基準のことを表しています。

例えば、

この人は頭がいいからテストでいい点を取れるだろう。

という文だったら、「この人は頭がいい」という部分が「ある基準」を満たしているということになります。

頭がいいと感じる基準は人それぞれですから、その人が「この人は頭がいい」と思ったときに信じることができたという風になります。

この人それぞれの基準を将来満たすであろうことに疑いがないときに①の条件に当てはまります。

次に②を見ていきます。

見えていない、分からない部分を諦めること。これは、人間どうしても分からない部分があるということです。

人は、自分のことさえも大して理解できていないのに、相手のことなんて完全に理解できるはずがありません。

なので、諦めるという選択肢を取らざるを得ません。

しかし、分からない部分が多すぎると、裏切られることになってしまう確率が高くなってしまいます。

できるだけその人を理解する努力をすることで、その人をより正確に理解し、傾向を掴むことで裏切られることを防止することができます。

完全に理解できないからといって全て投げ出すのではなく、出来るだけ理解しようとすることは必要でしょう。

以上の2つを満たすと「信じる」ということになると私は思います。

ということで特にオチもなく終わります。

おーわりっ

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