310 歌は思い出を連れて

 最近、インターネットの YOUTUBE に投稿されている歌にアクセスして、楽しい思い出に浸り込んでいます。印象に残っている歌をたどってみて、我ながら、その数の多さに驚きました。七〇年以上の人生の歩みの中で、自分の周りを通過していった歌が、一曲、一曲、その時々の思い出を伴って懐かしく蘇ってきます。こんなに多くの歌を知ることが出来たなんて、歳を取ったことを感じると共に、平和な時代に生きてきたんだなぁと、改めて思う次第です。
 そんな歌たちなのですが、特徴ある旋律の部分は知っているものの、完全に一曲を歌い切れないものや、曲名すら知らないものも結構ある事に気付かされました。働き盛りの時に通過していった歌たちは、感性に触れた部分だけを蓄積しながら今に至っているのでしょう。歌を唄ったというよりも、歌を聞き流して来たという感じです。何か忘れ物をしているようで勿体ない気がしました。
 いい歌だと思いながらも、歌詞を味わい尽くしていないことに不足感を覚えるのは否めません。インターネットが普及するまでは、歌詞を手に入れるのも容易ではありませんでした。当時、どうしても覚えたい歌は、耳に神経を集めて何度も歌を聴き直しながら、歌詞を書き取ったものです。それが今では、曲も歌詞も思いのままに入手でき、曲の総てを完全に味わうことが可能になりました。
 YOU TUBEでは、懐かしい映像と歌が、その当時のままの歌手の声で再現されるのが大きな魅力です。私自身が若返ったような気になれます。アンチエイジングを試みるにあたって、体の若返りは勿論ですが、気持ちの蘇りも不可欠です。若かった頃に唄った歌を味わいながら、歌詞に思い出を乗せるのはとても有効だと思われます。
 小さい頃、親父は田端義夫の歌をよく唄っていました。戦後の貧困の中、生活を支えるために、よく自転車で食料の買い出しに行ったのですが、その親父の背中におんぶされて、「波の背の背に ゆられてゆれて〜」のリズムに揺られながら、よく聞かされたものです。
 当時は主流だったラジオの各局から三橋美智也の張りのある高声が巷に流れていました。体に染み込んだ歌は、今でもしっかり思い出すことができます。
 石原裕次郎と美空ひばりの歌は、映像と重なって目に浮かんできます。そして、高校時代、私の青春は、舟木一夫、橋幸夫、西郷輝彦の御三家と共にありました。
 教師に成り立ての頃、赴任先の薄暗い下宿のTVから流れてきた、由紀さおり「夜明けのスキャット」の透き通った声が忘れられません。
 顧問をしていたバレーボールクラブが合宿の時、夜の恒例となっていた歌合戦では、生徒たちが毎晩、楽しげにピンクレディーやキャンディーズを踊り、唄っていたのが楽しく思い出されます。
 山口百恵・桜田純子・岩崎宏美・松田聖子・・・・・などのアイドル歌手に熱中する生徒たちに交じって私もひそかに「カワイイなぁ」と心ときめかせておりました。
 オリンピックの開催、ビートルズの来日もあって、世の中に歌があふれ、まさに平和が花開いた感がありました。「唇に歌を、心に太陽を」のフレーズがよく似合う時代だったと思います。
 また、カラオケの出現により、歌手気分で歌を楽しむことも出来るようになり「あゝ上野駅」「霧にむせぶ夜」が私の十八番となりました。井上陽水や小椋佳、中島みゆき、松任谷由実、それに数々のフォークソングは仕事とクラブ指導に明け暮れていた私には、じっくり味わう状態にありませんでした。しかし、旋律の一部が頭にこびりついています。今聞いても名曲揃いで、色あせていないのは凄いことですね。
「歌は世につれ、世は歌につれ」の言葉通り、誰しもその時代を切り取った歌を口ずさみながら歩んでいくもののようです。そして今はもっぱら、「健康は歌声に乗って」が私のモットーになってきました。


 【気付きと対策】

※ 太古の昔から、人は歌と共にありました。インターネットの普及により、今ではオーケストラの曲に乗せて歌手になったつもりで歌える条件下にあります。

・ 時代を映した歌を口ずさみながら、そこに過去の自分の思い出を込めて歌うのは楽しいものです。

・ 日本が世界に誇る発明品、カラオケを満喫しましょう。

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