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ほんとうのこと

noteの世界で文章を書いていると、その世界に入り込んでいくのを感じる。
描こうとしている世界が頭の中に映像として浮かび、まるで自分がその景色を本当に見ているかのような、そんな錯覚に陥る。

でも、最近は現実を見ざるを得なくなっている私がいる。
五分粥を食べることも大変な毎日。
24時間酸素吸入をしていないと息が止まってしまい、声が出なくなってしまうこと……
こんな症状は1年前には考えられなかったことだ。
少し痩せた脚をぼんやりと見つめる時間が増えていった。


身体の自由を奪われたからといって、心まで落ち込んでしまうような人間でありたくない。
ずっとそう言い聞かせてきた。
そして今も自分に常にそう語りかけている。
「心の充足こそが私の目指すところだ」と。

でも、話す自由を奪われそうな今、私は自分の心がぐらりと揺れそうなのを感じる。
まさか、ここまで病気が私の日常生活を蝕むとは考えていなかったからだ。

私は、日常に潜む姿も形もない病魔というものに、微笑み返せるだけの強い精神が欲しいのです。

病魔に屈して泣き崩れることだけは、いかなることがあっても避けたいのです。

そして自らの足で再び立ち上がり、私にしか歩めない人生を歩みたいのです。

そこに憎しみや後悔が入り込む余地はなく、ただただ一生懸命に生きていきたい、そんな思いが不思議と湧き上がります。

2022.10.15『困難な時にこそ口元に微笑みを』


病名を宣告された時、私はこんなことをnoteに綴っていた。
「病魔に微笑み返す」という、一見変わった目標は、今も変わっていない。
目に見えない魔物をまっすぐ見つめて、自分の生き様を貫き通すという志は、あの頃と同じだ。

でも、その魔物は想像以上に厄介だった。
今の私には、姿が見えない相手に微笑み返すだけの体力と精神力がないのを感じる。
ただただその姿をまっすぐ見つめて、日々闘うことが精一杯だ。


強い心が欲しい。
物質世界に執着するのではなく、目に見えない世界を大切にする心が欲しい。
ただ時の流れに揺られながら、私らしく一生懸命に生きる、それだけに集中する精神力が欲しい。



ほんとうのこと。
思うままにペンを走らせる夏の夕暮れ。

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