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「想い」と「思い込み」

「想い」と「思い込み」は似て非なるもの。
この微妙に違うものに注意して峻別することで、人生を豊かにするヒントが得られると私は考えています。
 
「思い込み」はNOを強要する
 
とても勤勉に事務をこなす社員がここにいます。
ちょっと圧迫感の強い上司がいて、こう言います。
「君は事務作業が早くて正確だ。だがビジネスパーソンとしてもっと、人格力を身に着けてもらいたいんだ。」
この部下は困惑します。何も具体性が無く、何をしたら良いのかが全く分かりません。
 
作成した書類のチェックを上司に頼むときに、こういうことを言われます。
「書類は、ただの紙切れだ。組織を率いるには、人格と影響力が必要だ。君にはまだ分からないかもしれないが。」
「はあ・・・」
どのように返事するのが正解なのだろう?となります。

みなさんも同様の経験が思い当たることはないでしょうか。具体性の無いことで「まだまだだな。」ということを手を変え品を変え言われる。さながら必殺剣術の修行に励む弟子に一子相伝の秘儀伝授の行を課す師匠のようです。しかし実際、サラリーマン社会では、このような接し方をしてくる人は全然大した交流が無かったりします。「私の何を見て『全てお見通しだ』のようなことを言うのだろう?」

これが、「思い込み」の典型例です。
「人格力を身に着けてもらいたい」というのは「あなたには人格力が無い」と言っています。
「無い」ことの証明は「地獄の証明」です。あらゆる反例をしらみつぶしに検証しないと断定が出来ません。私に監視カメラを設置して四六時中の生活を全て記録し観察したうえで人格力の無さを断定したとでもいうのでしょうか。そのようなことを安易に断定できるのは、「事実の断定」ではなく、「思い込みの願望」に他なりません。
 
つまり、「私はあなたには人格力が無いと思いたい」と言っているのです。そしてその逆の願望がこの上司の中にあります。「私は自分を人格者だと思いたい。だからあなたに人格力が無いことを確認して自信を保つ必要がある。」というニーズを要求しているのです。
 
当然ながら、「自分は人格者である」というのはその上司の幻想で、彼は潜在意識では人格者ではないことに気付いており、それを直視する恐怖に耐えられないために「私に比べあなたには人格力が無い」発言をするのです。
 
手を変え品を変え「NO」が出て来る。ああ言えばこう言う感。その時には早めにこの「思い込み」の構造を疑う必要があります。真面目な人ほど、「まだ努力が足りないのだ」と捉え、自分を追い込み傷つけてしまいます。捕食者にとって意図通りの犠牲者です。
 
「想い」は結果を願う
 
一方、「思い込み」でない「想い」はどのようなものか。
「想い」はただ、結果を願います。
 
勤勉に事務をこなす社員に、変な評判が立っているようです。
給湯室でのヒソヒソ話レベルだが、上司の耳にも少し届いてくる。
ちょっと素っ気なくて融通が利かない。
「出来ないものは出来ないです。」とかピシャリと言う。チームで仕事しているんだからもうちょっと言い方を工夫するだけで周りも和らぐのだけど。
上司としては「呼び出して説教するほどのことではないが、どうしたものかな。」と案じています。
 
部署の懇親会でそのことを面と向かって揶揄する営業担当がいました。
「サービス精神が無いよな。」
上司は咄嗟に、まずい流れだと思い、おどけた感じで割って入ります。
「だって、出来ないものは出来ないよなあ。」
「私、そんなこと言いましたっけ?」
本人に悪気はない。意図的に素っ気なくしているわけではないのです。

上司はさらにおどけて続けて見せます。
「ホラ、悪気が無くて言ってることなんだから。それより、営業の彼も面白いよなあ。『出来ない』っていうことも、優しく言って貰わないと傷ついちゃうんだって。」
営業の彼も苦笑です。「いや、そういうわけじゃないですけれど。」
「ちょっと配慮してあげてよ。彼傷ついちゃうから。」
ここまで言われると営業の彼も乗っかるしかありません。
「うん、俺傷だらけだわ。」
ちょっとユーモアで吸収しよう、という空気が生まれます。
悪気が無いのも分かったし、言い方を工夫してほしいということも伝えはした。部署の空気が少し柔らかくなりました。
 
ちょっとコント仕立てでしたが、「想い」がある場合はこのようなことが起きたりするでしょう。部署の皆になるべく快適に、幸せに働いてもらいたい。そこには「上司の私が人格者で、その私が働きかけるから良くなるのだ」のような余計な思い込みがありません。そして、そこには願いに沿った自然な変化が生まれる。
 
スペクトラム
 
さて「想い」と「思い込み」の違いを描写してきましたが実際にはこれらが混沌とミックスしています。
つまり、「スペクトラム」です。
 
「思い込み」がゼロで純粋な「想い」だけを持った人は大成し、大志を世に実現するでしょうが、そのような人はそうそういるものではありません。
 
「思い込み」だらけの人も、そのプッシュ力の強さから、一時のキャリアの成功を収めることがあります。概してその時の周りの人々は不幸です。ですが、私の見聞きした経験上、そのような本人が最終的に幸せになることはありません。「最終的に」というのは、引退後、老後、晩年を含めてです。
 
多くの人はその中間のミックス状態です。例えば90%の想いと、10%の思い込みで出来ている人は、十分素敵なリーダーだと思います。少しの思い込みに関しては、目を瞑ってあげましょう。誰しも、それがゼロということはありません。
 
「私は感情をコントロールできる人間なのだ、あなたと違って。」
「私は自然と人から慕われる人物なのだ。あなたと違って。」
 
ええ、それは存じてます。その部分は逆立ちしても敵いません。私もお慕い申し上げてます。
「お世辞、おべんちゃら」ではありません。「思いやり」です。それは、部下から上司に対しても、必要です。

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