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JazzとLiveとGameと

申し訳ないながら、
ゲームミュージックのコンサートがほぼ初めてくらいの初心者だったんですが、
非常に楽しかったし、色々考えさせられた。

こちらに参加させていただきました。
Billboard Live presents
SQUARE ENIX JAZZ -DEBUT-
https://www.jp.square-enix.com/music/sem/page/jazzlive/debut/

中川さんが非常にオーディエンスをのせるのが上手い方だったので、こちらはその指示に合わせれば良いだけで、初参加の自分も不安に押しつぶされることなく満喫できた。

一方で考えさせられたのは、ライブについて、Jazz(アレンジ)としてのゲームミュージックについて、そしてゲームミュージックライブについて。

ライブとは一定の楽譜がある音楽の生演奏。
音運びにはある程度の楽譜という正解がある中で、演者がどこまでアレンジして、どこまで正しく演奏するか。
アレンジし過ぎて元が全く分からなくても、その人の個性がのっていて好きなら好きという人もいるだろう。逆に元が残っていないなんてアレンジの域を超えているという主張もあるだろう。
(ここに最近うちわで話した二次創作の可否という話も繋がる予感もする)

そしてゲームミュージックの場合はココに原曲が使われたゲーム内のシーンが色濃く投影される。その幻影をよりハッキリさせるようにアレンジするのか、それだけではツマラナイと大きく逸脱してアレンジするのか。
さらには演者同士のコミュニケーション。悲しいフレーズだが難しいフレーズを弾ききった仲間を褒め称える笑顔は、その曲が表現した悲しいシーンに合っているのか?それを否定してもなおライブなのか?
Jazzの場合は自由演奏があるので、ココがますます強調・注目される。

アレンジャーの好き嫌いは、批評家の好き嫌いに似ているのかもしれない。
その人の事を尊敬していて、その人のアウトプットにも敬意があれば、どんなものでも受け入れて楽しめる。
逆にまだ怪しんでいる段階では、アウトプットにも一言言いたくなってしまう。
きっと自分はゲーム大好きなアレンジャーの方だと盲信する反面、ゲームはやりませんといわれるとまず疑うんだろう(笑)

音楽と言葉のどちらが表現が豊かかという話をどこかで少ししたが、言葉の網が取りこぼした部分を含めてぶつけられるのが音楽強みであり、網を持たないからふわっとして共通理解を築きにくいのが音楽の弱い所だろう。
その一方で、今日のライブではJazzというフォーマットも相まって、演者感のコミュニケーションとしてのメインパートの受け渡しや、ゲームキャラクターの設定と演者の設定を重ねる事で、ダブルメインでの掛け合いをゲーム内と強く繋げる演出などが見られて、今まであまり意識していなかった音楽における共通理解となりうる表現を見ることができて大変良かった。

結論というにはあまりに当たり前なのだけれど、
ライブ、Jazzは特に演者さん&アレンジャーさんの好き嫌いが凄く出るなぁと。
そして自分はそのゲームに変態的なほどまでの愛を持った演者さん&アレンジャーの方と仕事がしたいなぁと、改めて認識させられた夜でした。
今日のセットリストのうち、どれが"『食事とゲームに人生の大半を費やしている』川村さんのアレンジだったのかは、改めて確認したい所!

本当に貴重な機会をありがとうございました!

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